『七』










初めに異常に気付いたのは群れの中へと姿を消した男だった。
ライツァーは気配を察知し、咄嗟に後ろを振り向いた。
群れの向こうで1人むくりと起きあがる女性。
楓はゆっくりと起きあがった。
額からは血が流れ目は朦朧として光がない。
そう、全く目に力が、光がないのだ。
死人のようなその目はやけに鋭い。
その鋭い目で何かを見つめている。
おそらく、みつめている。
力がないのだから睨んでいる事はないにしろ、周りが見えているのかさえもわからない。
ライツァーのほうをを向いている、というのが正しいかもしれない。

『か、楓……?』

月影の声がライツァーにも届く。
動揺と、疑問に満ちた声だった。

「素晴らしい……」

ライツァーの声は全く異なるモノだった。
楓に対して言った言葉なのだろうが、何かが違った。
群れの向こうに見える少女は楓という名前の人物であって、他者ではない。
だが、何かが違った。
雰囲気だとか気配だとか、そういった言葉では言いきれない何かがだ。
しばらく2人はみつめあっていた。
もしかしたらほんの数秒の出来事かもしれない。
だがライツァーにはそれが数時間にも感じられた。
まるで時が止められたかのように周りの物は動かなかった。
2人は瞬きもしないままみつめあっていた。
周りにいるザファン達は身動ぎ一つしていない。
それはライツァーが短い時間を長く感じたせいかもしれない。
はたまた周辺を包むこの淀んだ空気のせいで身動ぎするのが苦痛になってしまったせいかもしれない。
兎にも角にも2人はみつめあっていたのだ。
月影が何度か楓を呼ぶが反応はなかった。
声をかけられているのに気付いていないのか、聞こえていない振りをしているのか。
それさえもわからない。
前者の可能性が高いような気がする。
ふいに楓が動き出した。
ライツァーはその動作を眺めている。
今楓が動き出した事に気付いていないかのようだった。
楓は自分の懐に手を入れ、その力のない死人の目で群れを、いや、ライツァーを見据えた。
この時、ライツァーのすぐ横手にいたザファンはその楓の行動がこの世で見れた最後の光景となった。
楓の腕が和服の懐に入った。そこまでは見えた。
だが次の行動はザファン達に、月影にも、ライツァーにも見えなかった。
ただ、何か危険を察知し、ライツァーは屈んだ。
危険というよりも、楓の異常なまでの殺気を感じ取ったのだろう。
屈んだというよりは倒れ込んだという言葉が妥当かもしれない。
足の力を抜き、地に2本足で立つという事をやめて咄嗟に伏したのだ。
その行動は結果的に彼の命を救った事になった。
ドスドスドス、と不気味な音がライツァーの頭上で幾度か聞こえた。
見上げると数匹のザファン達の後頭部から何かが突き出ていた。
それは長さ10cmほどの針状の武器だった。
針にしては長く、武器にしては殺傷能力の低そうな中途半端な物だ。
たとえあたったとしても貫通する事は難しく、運がよくても針の先が刺さる程度だろう。
だが、それが額ならどうだろう。
針の先が脳まで達したらどうだろう。
しかしそれはあまりにも限られた条件でしかできなかった。
1番の問題点として骨のせいで脳まで達する事はその武器ではほぼ不可能だった。
皮と多少の肉を破り、骨を傷つけるのが精一杯だろう。
だが、ライツァーが見た物はその常識が通じなかった。
そもそも後頭部から針が突出しているのである。
つまりは前頭部は楽に突きぬけているという事になる。
前頭部を突きぬけ、頭の途中から後頭部にかけて針が突き進んだのである。
如何なる速度があればこのような貫通力を生み出すことができるのだろうか。
それも人の力で。
ライツァーが見上げた時、すでに頭から針を出しているザファンはただの屍と化していた。
脳を破壊されたのだから当たり前である。
もしも屈んでいなかったと思うとライツァーは身の毛のよだつ思いになる。
屈んだ状態から立ち上がり、楓の様子を伺おうとした。
しかしそれは必要のない事だった。
すでにライツァーの目前まで肉薄していたのである。
ザファンの群れはライツァーの為の肉の壁となっていたが、楓にとっては薄い紙で出来た壁と同じだった。
ライツァーの目の前でザファンが胴から2つになった。
皮、肉、臓器、骨。全てが2つになった。
月影が骨くらいでは刃こぼれさえしないのはわかっている。
だが、その持ち主のこの異常なまでの怪力はなんだ?
それともそれほどまでに月影が鋭い刃を持っているのだろうか。
実際はそうではなかった。
確かに月影の刃はとても鋭利である。
だが体を2つにするにはそれだけでは到底無理な話だ。
楓の刃筋がとても綺麗に、真直ぐに少しも曲がる事なくザファンの体に食い込んだのだ。
見よ! この切れ味を!
体の上半身と下半身が丁度良く均等に2つにされたかのようだった。
それは凄惨なモノだったが一方、美しさも持っていた。
切り口は少しのズレもない。
ライツァーの目にはその一瞬、一瞬がまるでビデオのスロー再生をしているかのように見えた。
時が止まっていた、と断言しそうなほどにゆっくりとだ。
目の前で2つにされたザファンの上半身が地に落ちる時、ライツァーは刀を振りきった楓へと一気に間合いを詰めた。
躊躇っている暇はない。
この目の前の人物に何があって鬼人と化したかはわからない。
だが、今、刀を振りきった今こそが最大のチャンスだった。
右手は刀を振りきり、左手は怪我をしているようだった。
何があったかはわからないが怪我をしているならばこれ幸い。
今やるしかない。
ライツァーは左手の平で楓の右肩を突き、刀を振り切った所をさらに力を加えた。
勢いを増した楓の右腕は、主のコントロール下から離れ楓の体のバランスを崩した。
横手から後方へと刀が遠心力に従い回っていく。
1匹のザファンの体に刀が食い込みその勢いは止まる。
どうせこいつ等は利用していただけだ、問題ない。
ライツァーは口の端を吊り上げて勝利の確信の笑みを作った。
刀を失った剣士など怖くない。
後はザファンの体に食い込んだ刀を取る暇を与えなければいい事だけ。
されど鬼人の目には狼狽の色など全くなかった。

「な……!」

焦りの色を見せ出したのは楓ではなくライツァーのほうだった。
右肩を突いてバランスを崩した。
だが、それを利用されるとは誰が想像しただろう。
楓は刀を離し振りきった勢いに、突き出された事によりさらに増した勢いを全く殺さなかった。
そのまま流れに逆らわずに回転したのだ。
バランスを崩すどころか、それはあらたな攻撃の機転となっていた。
楓は回転しながら軽く跳躍し、尚且つ片足を大きく上げた。
踵が回転の力と楓の力とを乗せてライツァーへと襲いかかった。
咄嗟に両腕で額への攻撃をガードする。
重い一撃は腕を通してライツァーの上半身へと衝撃が伝わった。
それに耐えきれず背中から地面に倒れる。
その一撃を繰り出す為に舞った楓も上手く着陸できずに地に倒れる。
両者共にすぐに起きあがる。
ライツァーは楓へと接近していった。
刀を持たせるとマズイ。
ライツァーが接近すると同時に周りのザファン達も動き出す。
まるでライツァーと打ち合わせたかのような隊形を組み出した。
それは隊形というにはあまりにも滑稽かもしれない。
言い換えよう。
ライツァーを守るようにしてザファン達が楓との間に割って入ったのだ。
楓はその動きを見るや否や刀には目もくれずにそれらに対峙した。
1番近いと判断されたであろうザファンが、まずその餌食となった。
首根っこを掴まれもがく時間さえ与えずに地面に叩きつけられた。
人と同じ―性質は違うかもしれないが―赤い血が飛び散り、圧迫に耐えられず眼球が飛び出した。
次に拳を振るうザファンの右膝を靴の底で蹴りつける。
普段とは膝の間接が逆に曲がりバランスを崩し倒れる。
倒れたザファンを足蹴にして一気に前進し小柄なザファンの腹部に拳をめり込ませる。
その一撃でぐったりと力を失った体をまるでゴミでも捨てるようにして投げた。
右からは高い位置につま先が、左からは逆に低い位置からつま先が迫りくる。
右からの攻撃のほうがいち早く楓の体に触れるが、それはつま先が届いたのではなく楓に握られたのであった。
アキレス腱が指に絶ち切られ尚且つ、その体は宙に浮いた。
楓に振りまわされ左から蹴りを放ったザファンの体にぶつかる。
すぐさま背後から襲いかかるが楓は振り向きもせずに靴の裏での蹴りを食らわせる。
アキレス腱を切られた者とぶつけられた者同士が抱き合うようにして転がっているところへ楓の踵が下る。
左から襲い、ぶつけられた者の首が鈍い音と共に潰れる。
歩き出すかのような動作でアキレス腱を切られたザファンの顔につま先がめり込む。
そこで動きが止まった。
ライツァーの片手が楓の額の辺りへと静かに伸びていった。
するとどうだろう。
今まで鬼人のごとくの狂暴さで暴れ回っていた楓が意識を失ったかのように崩れ落ちたではないか。
ライツァーは1度だけため息をついた。

「面白い物を見せてもらったよ」

そう言うなりザファンに突き刺さった刀、月影を抜いてから地面に突き刺した。
目を地面に置きっぱなしであった少女に向け、1度だけ肯いてから歩み寄り、抱きかかえた。

『何を、した?』
「さぁね」

月影の今までの状況に対しての困惑とライツァーへの憤りの混じった声にライツァーは軽く答えた。

「そうだ。君達にも見せてあげるよ。僕の実験結果をね」

そう言うなりライツァーはその場を去って行った。
その場には地面に突き刺さっている月影と額から血を流して気絶している楓、そして大量の死体だけが取り残された。
月影は必死に今の状況を理解しようとした。
まずザファンの群れに会い、少女を助けようとした。
それからライツァーが群れ中にいた。
何故ヤツはあの群れの中にいたのだろうか。
そして何故ザファン達はライツァーが群れの中にいる事を許したのか。
それから楓のあの変貌ぶりだ。
初めて見るモノだった。
動きといい、力といい、まるで楓ではないかのようだった。
楓の中に何かがいるのだろうか。
この世にはライカンスロープと呼ばれる人であって人とは異なる者の存在が確認されている。
彼らはどうやって生まれたかは現在判明してない。
ただ、彼らは人ではならざる物に変わることができる。
それは狼であったり豹であったり。
様々な例が発見されている。
では楓はライカンスロープなのだろうか。
いや、それはありえない。
彼女は他の姿へと変貌したりしていなかった。
人ではない姿に変わり、その能力を得るのがライカンスロープだ。
では一体何なのだろうか。
いくら考えてもその答えは結局見つからない。
今は気絶しているが、当の本人にさえ知らないのだから。


























眩しい。
まず楓はそう感じた。
それからゆっくりとまぶたを開ける。
なんとも形容しがたい色、光の色を視界一杯に捉えつつ、周りの世界が展開されていく。
小さな窓、木で出来た壁、同じく木の天井。
ここは、部屋だ。
しかし一体何処の部屋で、何故こんな所にいるのだ?
寝転んだまま、思い返そうとする。
ゆっくりと目を閉じ記憶の断片を一つずつ繋ぎとめてゆく。
ザファンと戦って、救世主様の噂を聞き、町に入って……
いや、違った。
町に入ってから噂を聞き、その後にザファンの群れと戦った。
そして群れの中にいた男と対峙して……
ああ、そうか。
私は負けたのだ。
どうしようもない狼狽感が楓を襲った。
額に右手を乗せて悲しみの思いに耽ろうとする。
だが、手に肌と髪以外の感触を覚えた。
それを吟味するように触ってみる。
布のような物だ。
うっすらと湿っている。
それからやっと上半身を起こして周りの情景を見ようとした。
するとどうだろう。
自分は今、冷たいベッドの上にいるようだ。
そして自分の寝ていたベッドの上には自分だけでなく、1人、少女が横たわっているではないか。
すぅすぅと小さな寝息をたてている。
ザファンの群れと対峙した時に倒れていた少女だった。
楓はなんとなく少女のさらさらとした青い髪を撫でた。
左腕は包帯が巻かれたままで使えなかったから右手で触れた。
それから再び額の布に触れてみる。
湿った布。
左腕の包帯を見てから気付く。
この布も包帯だろう。
湿っているのは、血が流れたせいだろうか。
額の包帯に手を乗せたまま目を閉じた。
兎に角頭の中で今の現状を整理しなければならない。
それから思い出したかのように少女へと視線を移す。
少女はいつのまにかに目を開けていた。
楓の目を除き込むようにして見つめている。
楓はその小さな瞳に吸い込まれるように見つめ返した。
それから、

「アナタが助けてくれたんですか?」

小さな少女に疑問をぶつける。
しかしその少女は何の答えも出さないままじっと楓を見つめている。
楓は気恥ずかしそうに頭を掻いて小さく笑って見せた。

「……そんな訳ないですよね」

独り言のように呟いてから少女の髪を撫でる。
一瞬だけビクッとそれを拒否するかのような動きを見せたが、少女は何の事もなく髪を撫でさせた。
みつめあったまま、楓は少女の髪を撫で、少女はじっと深く楓の瞳の奥を見ている。
どれくらい時間が経ったのか楓にはわからない。
だが突然少女が楓の瞳を見るのをやめ、ドア―楓よりも少女のほうが近い―を見た。
楓もつられて見る。
ギィ、とドアが軋んだ音と共に開き中年の髭面の男が入ってきた。
じろりと2人を見てから、

「救世主様がお呼びだ。ついて来い」

と吐きかけるように言った。
ここが部屋でなければ唾でも吐きそうだ。
楓は何も深く考えずにベッドから立ち上がった。
すると小さな青い髪の少女が楓の手を掴む。
楓は無言のままじっと少女の顔を見てからその手を引いてドアに向かい出した。
救世主様が助けてくれたのだろう。
楓は1人楽観的な事を考え、それから先程の髭男に憤慨した。
初めて出会った人にあの態度はなんなんだ、と。
髭男の背中を憎々しげに見ながら後をついて行く。
どうやらここは宿のようだった。
廊下も木で出来ており、所々黒ずんで掃除の手が行き渡ってないのがわかる。
楓が以前泊まっていた安宿といい勝負かもしれない。
軋む階段を降りてから便所と書かれたドアを通りすぎ、長い廊下を突き進んだ。
汚らしい癖に結構大きめの宿らしい。
やがて髭面の男と、男の後につく楓と、楓の手に引かれた少女は一つのドアに辿り付いた。
髭面の男は振りかえり、無表情な顔でじろりと後についてきた二人を睨んだ。
楓の手の中でビクっと小さな少女の手が震えたのがわかる。
それから無表情のままドアをゆっくりと開けた。
楓は少女を怯えさせた男に怒りを覚えつつドアの先をみつめた。

「やぁ、お目覚めかい?」

ドアの向こうにいた人物、救世主は椅子に腰掛け1本の刀を眺めていた。
救世主は刀から3人へと視線を移した。

「アナタが……」

少女の手が小刻みに揺れている。
楓は少女の不安を取り除くため、又、自分に渇を入れる為に握る手に力を入れた。

「アナタが救世主ですか?」

救世主、又はザファンの群れにいた人物、名前をライツァーと言う。
ライツァーは口の端を吊り上げてニヤリと笑った。

「そうだ、僕こそが救世主だ」

ライツァーは口だけは笑ったまま2人を見据えていた。

「救世主様は【unfamiliar】の群れを何度も追い払ってくれたのだ」

楓の後ろから髭面の男がそう言った。

「群れを? 追い払った?」

楓は眉を動かしてライツァーを睨んだ。
少女の手を離しライツァーへ指を指す。

「アナタがそんな事をするとは到底思えない」

ライツァーはニヤニヤと笑っている。

「救世主様に無礼な口を聞くな」

髭面の男が指を指した楓の腕を捕らえ、それを後ろから捻りあげた。

「そんな事より見てくれ。実験の結果を。僕の自信作を」

髭面の男への抵抗はせず、苦虫を噛んだような顔をしながらライツァーを睨みつづけている。

「そんなもの見たくありません」
「いや、キミはもう見てしまっている」

ライツァーの意味不明な言葉に楓は首を捻る。

「まさか……」

楓は自分の隣にいる人物を見た。
髭面の男は後ろにいる。
小さな青い髪の少女だ。

「そう、その《まさか》だ」

ライツァーはゆっくりと3人へと近づいた。
そして強引に少女の腕を引っ張ると少女の顔を両手で掴み、真正面から楓に見せつけた。
微かに震えているのがわかるが少女の表情は全く変わらなかった。
表情が楓と出会った時から全く変わっていないのだ。
ようやくその事実を楓は気付いた。

「人には感情という大切なモノがある。つまり笑ったり、怒ったり、悲しんだり……。まぁ、そんなトコだね。感情を持たぬ人などこの世にはいない。犬や猫だって持っているんだ。その感情を持たぬ人間が現れたらどんなに面白いか、ってね」

そう言うとライツァーは少女の青い髪を撫でた。
楓のように。
だが楓とは違い、どす黒い何かが渦巻いているように楓には思えた。

「それでこの少女で実験したわけだ」

まだ撫でつづけている。

「なかなか上手くいかなくってね。何人もの犠牲を生んだ訳だが、まぁ、成功した今となってはもうどうでもいい事だ」

青いサラサラとした髪を撫でるのをやめ、一息ついてからライツァーは言葉を続けた。

「実験を行うのにさすがに人前はマズイと思ってね。それであの群れを利用したわけだよ」

ああ、それえか。とは楓は納得しなかった。
確かにライツァーが群れの中にいた理由はわかった。
だが、

「アナタは人を何だと思っているんですか!」

髭男の間接を捻る力が増す。

「人を実験に使うなんて……。やはり、月影の言った通り、アナタは許しません!」

一変いてライツァーの表情が変わった。

「【unfamiliar】をやみくもに殺すのと何が違うんだ」

楓は口を開き、何かをいいかけて留まった。
ゆっくりと考えながら口をもう1度開いた。

「あれは、襲って、きたから、です……」

自分の言葉を吟味するかのように言った。

「彼らは生きる為に襲うんだ。食を得る為に、襲うんだ。生きる為に殺された。そうだろう? 死ぬという事はさして問題ではないんだよ」

ライツァーの返事はすぐに返ってきた。

「ただ、僕らはその短い生の中でどれだけ努力し、生き抜き、そして……」

ライツァーは今一度笑みを作った。
だが、それは楓が見た事もないようなおぞましい笑みだった。

「どれだけ楽しむかだ」

そう言うなり、月影を手に取り3人を見据えた。
ゆっくりと再び椅子に腰掛け目を閉じた。
どれくらい時間が経ったのであろう。
ライツァーの酷く自分勝手な演説にその場に居合わせた者は随分と口を開く事ができなかった。
本人はというと月影の腹でペチペチと手を打っている。

「実験は成功した。とは言った。確かにその少女は感情を失い、そして生きている」

沈黙を破ったのは沈黙を作った張本人だった。
何故か残念そうな言い方だった。

「いや、生きていて残念だった、とかそういった問題ではないんだ。ただ……」

誰かに問い掛けている訳でもなく、自問自答のようだった。
椅子に座ったまま、項垂れている。

「キミ達にこんな話をしても仕方がないね」

そう言うとゆっくりと顔を上げた。
立ち上がり、大きめの窓のから外の様子を見た。
楓は今になって気付いたのだが、楓と少女が眠っていた部屋とは随分と作りが違う。
窓は大きいし、机と椅子がセットで2つもある。
何よりベッドは暖かそうでさらに柔らかそうだった。
冷たく固いベッドとは大違いだ。
さすが、救世主様、って訳だ。
外の様子を伺っていたライツァーは今度は3人を見据えた。

「そろそろ、この町にも飽きてきたな」

口を開いて言った言葉はそんな言葉だった。

「な……!」

驚きの声をあげたのは髭面の男だった。

「い、行ってしまわれるんですか? 救世主様!」

楓の腕を捻り上げる力を入れるのも忘れ、ライツァーの元へと駆け寄った。

「ああ、そうだ。飽きたからね。何より、人がもういないから」

人が、もういない?
楓はライツァーの言った言葉を理解できなかった。

『だから人の気配がしないのか』

ようやく月影が声を上げた。
髭面の男にも聞こえたはずだが、全く不思議とは思わずにライツァーをすがるような目で見ている。
この町に留める事に必死でそんな声など頭に入らないのであろう。

「ああ、そうだ。人は、もういない」
『初めからその気であったのだろう?』

ライツァーは顎を人差し指で触れ、少し考えるようにしてから口を開いた。

「もちろん」

そう言うと同時に、ライツァーの腕が一閃を作った。
ドス、と嫌な音が聞こえた。

「な、何を!」

髭面の男は首を抑えながら床に倒れた。
それでも少女は全く表情を変えなかった。

「これでこの町にいるのは僕らだけだ」

その言葉を耳にする前に、楓はライツァーへと駆けて行った。
ライツァーは余裕の笑みでそれを迎えようとする。
だが、ピタリとその足を止めた。
彼女がいつ現れたのかはわからない。
足音さえもなかった。
気配を感じる事も全くできなかった。
その姿を楓は捉え、足を止めたのだ。

「そのへんにしておいたら?」

突如現れた白い女性はそう言った。
窓の外を眺めながらそう言った。
この部屋には今目の前にいる女性の姿などなかったはずだ。

「やぁ、キミか」

ライツァーの丁度真後ろにいるのだが、ライツァーは振り返りもせずに言った。

「ノックくらいして欲しいものだね」

その女性が現れた事になんの驚きも表さずにライツァーは続けた。

「全く……、まだ馬鹿な事を続けていたのね」

白い女性、ソロネはライツァーと、楓と、少女と、そして死体を振りかえってから言った。

「ソロネさん……」
「久しぶり、楓」

ソロネは軽く片目でウィンクをしてみせた。

「馬鹿とはなんだい。僕はこれに自分の生涯をかけているのだから、そんな事を言って欲しくはないね」

ようやくライツァーは振り向くとソロネをじろりと睨みつけた。
楓を背にしているのだが、そんな事はさして気にしていないらしい。
突然、後ろから襲われても何も文句は言えまい。

「なら、尚更馬鹿ね」

ため息まじりにソロネは呟いた。

「あの人はこんな事をしてもらっても何も喜ばないわ」
「ふん、キミにはわからないんだよ。まぁ、いい。見てろ、今日はまだ駄目だが、次は成功する」

楓には2人の言っている事が全く理解できなかった。

「それとも、キミはあの人に捨てられたからそんな事を言っているのかな?」
「ライツァー!」

少女がビクッと震えた。
楓は少女に近寄ると再びその手を握る。
ソロネのこんなにも激しい激昂を目の当たりにした事はなかった。
ソロネの片手は剣を持っていた。
一瞬でそれが突然何もない空間から現れたかのように、楓には思えた。

「キミじゃぁ僕を殺せない。それは知っているよね?」

ライツァーは剣にも全く臆せずに淡々と怒るソロネに言葉を吐きつけた。
その言葉も楓には到底理解し難いものだった。

「けど、怪我をさせる事くらいならできるわ。そう、実験なんて2度とできないくらいにね」

少しだけライツァーは顔を引きつらせたが、それでもすぐにソロネを睨みつけて全く引こうとしなかった。

「いいのかい? キミは目的を果たせなくなるよ」

腕を組み、余裕綽々といった様子だ。
楓はゆっくりと少女の手を離した。
少女が無表情のまま楓を見上げる。
その頭に手を1度だけ置くと、楓はライツァーへと視線を戻す。

「ならば、私はソロネさんの味方につけばいい事です」

ライツァーは驚いたような顔を1度だけしてから楓へと顔を向けた。
ソロネはじっとライツァーを睨んだまま。

「なるほど。それならば僕は引かざるを得ないね」
「逃げきれると思う?」

ソロネがじり、とライツァーへとにじり寄った。

「逃げきれるとかそういうのは問題じゃない」

ライツァーはそう言うや否や凄まじいスピードで楓へと駆け寄った。
慌てて楓がそれに反応するが片手では到底不利だ。
守る事を考えずに、攻撃にのみ集中した。
ライツァーの右腕が上がる。
楓の左腕は怪我をしているのでそれを捌く事はできない。
ならば相打ちを狙ってやる。
楓はそれにカウンターに合わせるようにして自分も右腕を上げた。
拳を作らずに手の平でライツァーの顎を狙う。
だが、ライツァーの姿は突然、ふっと消えてしまった。
目標を失った楓は繰り出した手の平の勢いを殺せずにたたらを踏んだ。
すぐに周りを見回すがどこにもいない。

「やられたわね」

ソロネは悔しそうな顔で再び窓の外を見つめていた。
人が突然消える事なんて有り得るのだろうか。

「……幻覚、ですか?」

楓は巣穴で対峙したサングラスの男を思い出した。
しかし、アレとは大分違うように思える。

「いや、違うわ……。それにしてもここまで成長しているとは……」

楓に対しての言葉だったのだが、後半はただの独り言になっていた。

『ソロネも知っていたとはな』

どうやらライツァーは月影を置いて行ったらしい。
それを確認すると、楓は慌てて少女を探した。
無事だった。
未だに無表情のまま楓を見つめている。
楓は少女に近づくと頭を撫でた。

「もう大丈夫ですよ」

少女には感情が失われている。
楓に髪を撫でられても嬉しそうな顔や、悲しそうな顔、怖がった顔全て現れなかった。

「ハーイ、ツキカゲ」
『ふん、気楽なものだな』

ソロネは微かに微笑んでツキカゲへと近づいた。

「そう連れない事言わないでよ」
『その娘を元に戻す事はできないのか?』

楓はその言葉を耳にするとすぐに振り向いた。

「ライツァーは感情を消す事なんてできないわ」
『しかし……』

ソロネは少し考えるような素振りを見せてから口を開いた。

「消す事はできない。きっと、壊したのよ」
「壊した?」

少女の手を握って楓は会話に割って入った。

「ええ、彼は感情をコントロールする事ができるの。最も、最初は自分の感情だけだったわ」
『私もその頃に出会った』

ソロネは天井を見上げると目を瞑った。
言っていいのか、それとも言ってしまってはマズイのか、それを考えているようにも見えた。

「それが、あの人に出会ってから変わってしまったのよ」
























「壊された、という事は修復する事が可能なはずよ」

少女と楓とソロネ、月影以外は町に誰もいない。

『修復、か』

廃墟と化した町の喫茶店で彼女達はそれぞれ飲み物を飲んでいた。

「うーん、修復とは違うかも。今、この子は赤ん坊と同じ状態、いいえ、それよりもっと酷い状態なの」
「兎に角、治す事はできるんですね!?」
「正確には治すんじゃないわ」
『新しく、構成するのだな?』
「そう」
「えっと、つまり……。以前とは違う人間に?」
「その通り」

ソロネは冷たい珈琲を一口すすった。

「これは仕方のない事。たぶん、治る事はないわ。新しい人間として生きるの」
「そんな……」
『しかし、この町には両親どころか誰もいないぞ?』
「そこなのよ」
『近くの町まで連れて行くか?』
「けど、こんな状態の子を快く引き受けてくれる人なんているかしら?」
「連れて行きます」

楓は暖かい紅茶を一口、口にした。

「私が新しい感情の構成とやらの手伝いをします」
『それは到底無理な話だ』
「そうね……。楓、アナタは【unfamiliar】からこの子を守りきれる?」
『【unfamiliar】だけではない。組織とかもまだ絡んでくるだろう』
「でも、私以外にいないでしょう?」
『しかし……』
「守ります。絶対に、何があっても」
「口だけじゃないわね?」
「もちろん」

少女は紅茶をすすった。
楓が用意したものだった。

『しかし……。楓が親のようになるのか』
「不満ですか?」
『いや、そうではない』
「ふふ、どんな正確になるのか怖いのでしょう?」
「な、何ですか、それ!」
『ああ、本当に楓でいいのか?』
「なら私が連れて行くわよ?」
『それはもっと怖い』
「あら、きっと可愛い子になるわよ」
『想像できんな』
「やっぱり私しかいませんよ」
『選べる選択肢は無いな』
「そうね。楓、頼むわよ?」
「はい。……それにしても、あの男はどういう人なんですか?」
『気にするな。私は思い出しただけで寒気がする』
「そう。気にしないほうがいいわ。この広い世界でまた会える証拠なんてないのだから」
『そうだ。もっとも、2度と会いたくないがな』
「でもソロネさんとは会えましたよ」
「アナタが会いたいと思えばいつでも駆けつけるわよ」
「頼もしい限りですね」
『これからどうするんだ?』
「う〜ん、やっぱ心配だから暫くついて行くわ」
「暫くと言わないで一緒にこの子を見守りましょうよ」

そこで突然ソロネは厳しい顔つきへと変わった。

「それはできないの。私にはやる事がある。これだけは覚えておいて?」
『先程ライツァーも言っていたが、やる事とは何なのだ?』
「今はまだ言えないわ。もしかしたら一生言う事は無いかもしれない」
「気になりますねぇ」
「そんな事より、そろそろここを出ましょう」
『そうだな。集まってくるとやっかいだ』
「何がです?」
『【unfamiliar】に決まってる』
「そうね、行きましょうか」
「ええ、そうですね。さ、イリス」
「イリス?」
「ええ、私がつけました」
『すでに母親気取りだな』
「いけません?」
「イリスね、いいんじゃない?」

青い髪の少女、イリスはゆっくりと楓に近づくと楓の手を握った。








説明と登場人物紹介、及び補足等(Savior編)








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