『壱拾六』


















 カレイド、ユーラ、焔の三人のエージェント。彼らの目的はこの歪な塔の主との接触であ った。

 ――貴方達の仕事はその主との接触です

マリィは三人に事務的に告げた。

 ――接触してどうすんの? まさか、仲間にでも誘うとか

ユーラは笑みを作って言った。

 ――馬鹿ガキ。んなはずねえだろ

焔がユーラの頭を手の甲で叩いた。

 ――イッタ―! 何すんだよ

ユーラが頭を両手で抑えながら喚く。カレイドはそんな二人を見て苦笑した。

 ――接触後の事についてはカレイドさんに任せてください。彼にだけ、目的を告げているの     です。
 ――どういう意味だ?
 ――そういう意味です。
 ――ねえ、カレイド。どういう事?
 ――さあ、私にもよくわかりません。

カレイドは首を傾げてみせた。

 ――納得いかねえな。
 ――納得してください。

マリィは真正面から焔を見た。こめかみが一瞬だが、ピクリと動いた。

 ――さ、さあ、さっさと行こう!

それに気付いたユーラが慌てて焔の手を引いた。

 ――そうですね。

カレイドはサングラスを押し上げて言った。
 一体、主って誰? ユーラはふと数時間前の事を思い出しながら考えた。目の前にいる 強大な悪魔を従え、謎の塔に住みついている者。一体、誰?

「ねえ、アンタの主って誰?」

ユーラは悪魔の通常、瞳があるであろう場所を見つめながら訊いた。

『これから死ぬ者などに関係無い』
「へえ、そう」

ユーラはナイフを一本ずつ、両手に構えた。悪魔は身を震わせ、雄叫びをあげた。
 グオオオオオオォォォ――ッッ!
 その、獅子のような、しかしそれよりももっと、遥かに醜悪な雄叫びは塔内を轟き、ユーラ の腹の底を響かせた。その雄叫びで塔全体が微かに揺れ、パラパラと埃が舞い落ちる。ユ ―ラは身震いをした。こんな奴にどうやったら勝てるのか。
 悪魔の攻撃は突然やってきた。悪魔が横を向いたかと思うと、ユーラの体へと横合いか ら巨大な白い尾が襲いかかってきたのだ。ユーラは突然の事で、避けきれず、両腕で脇腹 から腹部にかけてガードした。しかしその巨躯の尾が生み出す力はユーラの想像を絶する 物であった。
 ユーラはホールの中心から大きな階段の横、丁度2階の渡り廊下と階段の間へと吹き飛 ばされた。悪魔は尾を振りきったままの姿勢で幼い少女を吹き飛ばした先を見据えた。ゆ っくりと尾を引き、そして勇ましくホールの床を尾で叩いた。激しい地鳴りと共に、床はくっき りと尾の跡を残して陥没している。悪魔は尾を掲げてゆっくりと歩み出した。濁った白の骨 の足、爪が床を抉るように踏み付ける度、微かな揺れを伴う。それ程悪魔の歩みは力強い ものだった。向かう先は白い煙を伴って、全く見えなかった。
 悪魔はユーラを吹き飛ばした先へ辿り着き、埃と壁の破片が生み出した煙が晴れるのを 待った。煙が晴れたとたん、巨躯は微かだが驚きの反応を示した。少なくとも悪魔は動揺 ている。白い煙が晴れ、そこにある物は抉られた壁と舞い散る埃と壁の破片、微かな血痕 だけだった。少女の姿はおろか、その少女の髪の毛一本さえ落ちていない。
 消えた……? 悪魔は振り返った。振り返り、右、左、上へと視線をさ迷わせた。しかし、 少女の姿など何処にも無い。
 幻を見ていた? いいや、そんなはずはない。この尾は確かに捉えた肉感がある。そして それを吹き飛ばし、轟音と共にその体は壁へと打ち付けられた。そのはずだ! 悪魔は再 び少女の姿が消えた場所へと首だけ振り返った。
 悪魔がそこで始めに見た物は銀色の閃光だった。自分の顔に向けて向かっている。慌 てて首を捻り、それを避けようとする。しかし顔に当たる事を避ける事が出来たものの、肩 口、丁度鎖骨のような場所にナイフを突き立てられた。
 グオオオオオオ――ッッ!
 悪魔は唸った。その叫びはビリビリとユーラの体を震わす。まるでその叫びで体中が分解 されてしまいそうだ。ユーラはナイフを引き抜き、空いたもう一方のナイフを今度こそ顔面に 突き立てた。ナイフは頬に当たる個所に突き刺さった。ユーラは快心の笑みを浮かべた。 その直後、すがる様にして悪魔の背中に飛び乗っていたユーラの体が宙に浮いた。その 腹部には悪魔の濁った白の拳がめり込んでいた。ユーラは苦痛に、声にならない叫びを あげた。吐血しながら地面にうずくまる。悪魔はそれを確認すると、自分の頬、鎖骨からナ イフを引き抜いた。そのナイフを勢い良く地面に投げ、突き立てると、ユーラをゆっくりと見 下ろした。そして尾で数度床を叩く。まるで、これからお前をこの床のようにしてやる、と言 わんばかりの迫力だった。ユーラは顔を上げ、悪魔の姿を確認しようとした。すると悪魔は 尾でユーラの体を薙いだ。ユーラは2、3m飛ばされ、転がった。
 悪魔は天井を見上げ、勝利の確信の雄叫びをあげた。三度目の雄叫びは、最も微小な ものであったが、それでもユーラの体を震えあがらせた。
 悪魔は雄叫びを止めると、立ちあがるユーラに向けて突進しだした。頭の短いが、鋭利な 角を先に、ユーラ目掛けて。ユーラはよろめきながらも力強く踏ん張り、立ちあがった。そし て自分に物凄い勢いで向かって来る巨躯を確認した。
 ズズン―
 巨躯は壁に向かって激突した。ゆっくりと頭を引き、陥没した壁を確認する。しかし、そこ にあの少女はいなかった。今度は彼女の体ばかりか、血痕さえも見当たらない。
 またしても消えた? 悪魔は歯を剥き出しにして辺りを探った。しかし、姿どころか気配さ えも見つからない。一体、何処に消えたのだと言うのだ。悪魔は振り返り、自分の背を確認 した。しかし今度は少女の姿は無い。銀色の閃光もやってこない。悪魔は尾で床を叩いた。 その直後、悪魔は股に激痛を覚えた。すぐに自分の足を確認する。なんとナイフが自分の 足に突き刺さっているではないか! さらに悪魔を驚かせたのは、そこに存在しているのは ナイフだけだった。ナイフを刺した張本人の姿が何処にも無いのだ。
 ユーラは影の中で考えていた。どうすればこの化け物を倒せるのか。自分の微弱な力と ナイフでは到底倒す事は不可能に思える。かといって、仲間を待つ事も期待できない。き っと、皆それぞれ苦戦しているのかもしれない。そこでユーラはふっ、と自嘲的な笑みを浮 かべた。自分は《シュバルツバルト》という巨大な組織のエージェントとして幾度も働き、そ して成功を収めてきた。それがどうだ。自分一人では何も出来ないではないか。いつも誰 かと一緒に行動しないと何も出来ないではないか。自分はもっと、強い者だと信じてきた。 高い自尊心を持ち、その通りの実力を持っていると思ってきた。なのになんだこのザマは!
 ユーラは影の中から巨躯の様子を観察した。巨躯は今、自分を探して辺りをうかがって いる。自分が影の中に隠れる事が出来る、という事にまだ気付いていない。気付く前にな んとかして突破口を開かねば勝ち目が無い。しかし、どうやって自分が優勢になれる? 必 死の思いで顔にナイフを突きたてて見たものの、あまり効果は無い。もちろん、それは鎖骨 も太股も同じだった。何処が急所なのだ?
 ユーラは悪魔の動きを見て目を丸くした。
 悪魔は何を思ったのか、突然飛び上がった。巨大な翼を羽ばたかせ、巨躯は宙に浮きだ した。一体何をしようとしているのか。ユーラはじっと息を潜めて悪魔の次の行動を待った。
 巨躯はゆっくりと眼下に広がる、自分にとってはそれ程広いとは思えないホールを見渡し た。やはり、少女の姿は何処にもない。どうやらあの少女には、自分の知らない何かを持 ち、それを扱い何処かに潜んでいる。もしくは何かに化けている。もしかしたら目には見え ないのかもしれない。そして、どうやら自分にはそれが何であれ、見分けをつける事が出来 ないらしい。ならば、そう、それならば――。
 ユーラは悪魔が顔を仰け反らせて天井を仰いぎだしたのを確認した。何をしようとしてい るのか全く想像がつかない。まさか、天井にユーラが隠れていると思っての行動ではある まい。そこでユーラはふと、昔にした会話の事を思い出した。





























 あれは確か、自分がまだ幼く(今もまだ幼いかもしれないが)、エージェントとして働いて もいない、しかし特別扱いをされ、訓練されていた頃だった。しばらく不在にしていたカレ イドとクリスが帰ってきて、二人の話しを心躍らせながら聞いていた。幼い自分にとってカ レイドとクリスの二人の活躍はヒーロー的な物で、美しく、格好良く、素敵な物だった。

 ――ねえ、今度はどんな所へ行ってどんな事をしてきたの?
 ――不思議な場所だったよ、ユーラ。
 ――そうですね。不思議で、そして嫌な気分にさせる場所でしたね。
 ――大きなお化けとか、怪物とかいたの?
 ――お化け? うん、アレはお化けとも言えるのかな。
 ――お化けと言えば、お化けかもしれないし、怪物と言えば怪物ですね。
 ――アレは悪魔だね。大きな翼を持った悪魔だったよ。
 ――戦ったの?
 ――仕方なく、そうせざるを得なかったんですよ。
 ――じゃあ、やっつけちゃったのね。
 ――そうとも言えるし、そうとも言えません。
 ――?
 ――もう、あんな悪魔には会いたくは無いね。
 ――ねえ、一体どういう事なの?
 ――いいかい、ユーラ。もしアレに出くわしたら逃げるんだ。もっとも、あんな場所にユー ラが向かう事は無いと思うけどね。
 ――私だって強くなるもん。そんな奴、やっつけちゃうんだから!
 ――駄目だ、ユーラ。もしも、もしもだよ? ソイツに出くわしたら勝つ事を考えちゃ駄目だ。 逃げるんだ。

クリスが不在だった? カレイドと一緒に出かけていた? 全くわからない。自分の記憶の 不確かさにユーラは自分を呪った。確かにカレイドと久リスは二人で話す事をよく見かける。 しかし、クリスが何処かへ行った事など覚えが無い。クリスは医者なのだ。エージェントで あったはずがない。きっと別の誰かだったのだろう。
 ユーラはそんな不確かな自分の記憶の中、まさか、二人の言っていた悪魔とは今自分に 立ちはだかる巨大な敵ではなかろうか、と考えた。

 ――そんなに強いの?
 ――強いとか、弱いとか、そういった問題では無いんだ。
 ――?
 ――火を吐きますしね。
 ――冗談を言っているんじゃない。カレイド。
 ――凄い、火を吐くんだ!
 ――そうですよ。こうやって、顔を仰け反らせて、ほら、こんなふうでしたよ。
 ――カレイド。そんな事を教えても何にもならないぞ。ユーラはあんな所へ行かないんだ。
 ――別にいいじゃないですか。教えるくらい。

 悪魔は自分の体中を駆け巡る熱い物を口から吐き出した。全てを燃やし尽くす、業火の 炎を。炎は銅像を溶かし、木製の階段に火をつけ、床を炎の海へと変えた。
 そう、見つからないのならば、全てを焼き尽くしてしまえば良いのだ。
 しかし少女は焼けていなかった。悪魔は階段の上で、扉の奥へと逃げる少女を目撃した。
 グオオオオオオ――ッッ!
 ユーラは背後からの雄叫びを浴びつつ、扉を開け、先の部屋へと進んだ。
 その部屋はホールとは違い、薄暗い部屋だった。目が慣れていないせいか、ユーラは周 りを確認する事が上手く出来ない。彼女は目を擦り、奥へと進もうとした。しかし、扉が破か れる音と共に悪魔が部屋へと入ってきたので、ユーラはすぐに身構えた。
 部屋が薄暗いという事はユーラにとっては幸いな事だった。つまりは、影だらけなのだ。 襲いくる悪魔の爪はユーラを捉えず、空を切った。ユーラが影の中へと身を潜めたのだ。し かし悪魔に影の中へと入るところを見られてしまった。ユーラは影の中でこれからどうすれ ば良いのかと悩んだ。自分の能力を知られた。さらに、この部屋で再び炎を吐かれたらど う対処すればよいのだろう。
 しかし悪魔は炎を吐く事は無かった。ユーラの事を探す事も無く、部屋の奥へと飛んでい ったのだった。ユーラは息を潜めながら、ゆっくりと影の中から現れ、悪魔の行く先を確認 しようとした。しかし先は暗く、全く見えない。ユーラは逃げ出したい気持ちを抑え、仕方な く悪魔の後を追った。
 その部屋はそれ程広くはなかった。いったい、幾つの部屋を通り過ぎたのだろうか。ユー ラはふとそんな事を考えてしまった。数多くの部屋を通ってここまでやってきた。同時に、数 多くの死体の上も通った。部屋の中は嫌な空気で充満していた。その空気が自分をどうし て嫌な気分にさせるのか、検討もつかない。
 部屋の中にはカレイドとライツァーが立っていた。体を震わせる悪魔もそこにいた。そして その部屋の中には一つの大きなベッドがあった。ベッドの上には何かがある。ユーラは目 を凝らしてそれを確認しようとした。
 何者かの死体だった。頭の半分が砕けて、脳髄が飛び散っている。よく見るとベッドの上 は血だらけだった。その死体は頭が砕けているばかりか、首がおかしな方向へ曲がってい た。まるで糸で吊るされた操り人形のようだった。重い頭は重力に逆らえずに下を向く。ガ ックリと。

『何故ッ!』

悪魔はうめいた。

『何故安らかに死なせてやってくれなかったのだ!』

その叫びはカレイドとライツァーに向けてのものだった。

『主はもう、すでに寿命だった! あと十数年も生きられない体だった!』

 悪魔とその死体にとって、十数年という年月は些細な年月らしい。ユーラにとっては数時 間といったところだろうか。

『何故ッ! 何故安らかに死なせてやらなかった!』

悪魔は再び同じ事を叫んだ。

「その十数年生きられるのは、私達にとって邪魔だったんですよ」

カレイドがサングラスを押し上げながら言った。ライツァーは頷いた。ユーラには何の事だか サッパリわからなかった。

『貴様ッ! 覚えているぞ!』

 悪魔はカレイドに向けてそう言った。明かにカレイドに向けて。

「それは光栄ですね」

 カレイドはそんな事を言いながら、どうしたものか、と考えていた。昔に対峙し、勝てない、 殺せないとわかっている悪魔が目の前にいる。ソイツは自分の主を殺したカレイドとライツ ァーへの怒りを露わにしている。今にも襲いかかってきそうだ。この悪魔には幻覚も効か ない。さらに自分には銃が無い。ライツァーや、ユーラでもどうする事も出来ないだろう。こ れから駆けつけてくるであろう、焔とゲーデでもおそらく無理だ。では、どうする? ライツァ ―を置いて、囮にして逃げるか? 悪魔の向こう側にいるユーラと逃げようとすれば話は 簡単だ。影の中を移動して逃げればいい。目的は果たしたのだ。後は逃げる事を考えれば いいだけ。しかし、しかしだ。果たしてユーラの所まで自分が行ける事が出切るのだろうか。 悪魔は丁度、自分とユーラの間にいる。走ったところで悪魔に切り裂かれるに決まってい る。一体、どうすれば?

「キミは、何をしたい?」

突然、ライツァーがそんな事を言い出した。悪魔は尾で床を叩いた。

『貴様等を逃がさん! 足をもぎ、首をへし折り、肉を裂き、内臓を引きずりだし、踏み潰し 、食らってくれる!』
「ならば、その後ろの少女を真っ先にするのが一番良い。うん、それが一番だ」

カレイドとユーラは驚いて目を丸くさせた。この男は、何を言い出しているのだ?

「その娘はキミにとって実に厄介な能力を持っている。影の中に身を潜め、移動し、攻撃す る事が出来るんだ。おっと、攻撃する事はキミにとって些細な問題だね。いや、問題にもな らないのかもしれない。キミはどうやら不死身のようだ。真の不死身のようだ。どうやって 生まれ、どうやってそんな存在になったかは僕は知らない。
 では、何故その少女が問題なのか。答えは簡単だ。僕達は今、キミから逃げようと必死 になって考えている。キミにとっては本当に少ない年月しか生きていない、虫ケラのような ちっぽけな脳を働かせて考えている。どうすれば逃げる事が出来るのか。どうすれば良い のか。簡単な事だ。その少女は自分が触れた者も影の中へ潜める事が出来るらしい。つ まり、その少女に皆が集まると、逃げられてしまうんだ。わかったかい?」

 悪魔は振り返り、ユーラを睨んだ。ユーラは歯を食い縛り、ライツァーを睨んだ。何故、何 故そんな事を目の前の悪魔に教えてしまうのか! この悪魔を冷静にさせては駄目だと わかりきっているだろうに。ユーラはそう思いながらライツァーを睨んでいる。
 カレイドもまた、ライツァーを見た。サングラスの下にあるはずの目がどんな形をして、何を 物語っているのかはわからなかった。
 ライツァーは二人に侮蔑の目で見られながらも、平気な顔で笑みを作っていた。むしろ、 この状況を楽しんでいるようにも見える。
 悪魔はゆっくりとユーラへと歩み出した。同時に、ユーラは身構え、カレイドはどうすれば 良いのか悩み、ライツァーは笑っている。
 だが、状況は一変した。突然ユーラの背後から真っ黒な影が踊り出てきたのだ。影は人 の姿をしていた。しかし、何かが違う。恐ろしく、邪悪な気配が漂っている。
 影は悪魔に跳び付いた。悪魔は突然の事に対処しきれず、慌ててその影を引き離そうと する。影はその拳を掲げ、悪魔に向かって振り下ろした。鈍い音と共に、何かが崩れる音。 悪魔の口がその影によって砕かれたのだった。
 カレイドとライツァーも動きだした。ここから逃げ出さねばならない。しかし、悪魔は影を引 き剥がすと、巨大な尾でカレイドとライツァーを二人まとめて薙いだ。二人は吹き飛び、壁に 打ちつけれれた。
 悪魔はその手に影を捕らえていた。影はもがき、その拳を振るい、悪魔の腕を破壊した。 いや、それは破壊と呼べるのだろうか。悪魔の体はその影に振られた部分だけが分解さ れたかのように崩れてゆくではないか。
 しかし悪魔は怯まなかった。削り取られたが、まだ残っていた牙で影を噛み砕いたのだ。 影は一度だけ腕を振り、もがいたがその後力無く力尽き、消え去ってしまった。
 次に、赤い人物が跳びかかった。赤い人物は巨大な斧を横殴りに、悪魔の頬を叩くよう にして振りきった。赤い人物、焔は確かに何かを砕くような感触を覚えた。しかし顔を焔に 向けた悪魔の顔には傷がついていなかった。それどころか、その口は再生をしていた。白 い煙を立てながら、見る見るうちに口が出来あがってゆく。

「砕けろっ!」

 焔はそれを見ても怯む事無く攻撃を再開した。同時に死神も現れ、参戦した。焔は木を 切る木こりのように悪魔の胴体を横から斧で殴りつけるようにして振った。ゲーデは首を 鎌で裂こうと背後から勢い良く引いた。
 鎌は悪魔の再生した手に止められ、斧に攻撃された胴体はビクともしなかった。
 悪魔は尾でゲーデを弾き、同時につま先で焔の腹部を蹴り上げた。ゲーデはカレイド達の ところまで飛ばされ、焔は体をくの字に曲げて地に伏した。悪魔は地に伏した焔の体を掴み 上げると、宙に投げ、尾で地面へと叩きつけた。

「ぐぅっ」

焔が苦痛のうめきをあげる。

「ライツァーさん、何か策はありませんかね」

 カレイドは倒れたまま、壊れたサングラスを外し、そのエメラルドグリーンの目でライツァー を見た。

「……」

ライツァーは黙ったまま、悪魔を睨んでいる。
 床に宙から叩き付けられ、苦痛に苦しむ焔へと、悪魔は拳を振り下ろした。
 ミシッ――。
 まるで体が潰された音のようだな、ユーラは目の前の光景を見てそんな事を思った。実際 に潰した事はないけど、潰した者は一体どんな気分なんだろう。ユーラはぼんやりと思った。 しかし、次の瞬間、今度はユーラに向けて尾が襲いかかった。ユーラは何もできず、壁に 打ち付けられる。
 その激しい痛みがユーラを現実へと引き戻した。

「ちょっと、何やってんの焔。早く立ちなさいよ」

ユーラは迫りくる悪魔に危機を感じないのか、焔の事を見ている。

「馬鹿! 野蛮人! さっさと立ちなさいよ!」

カレイドは焔の姿を見て息を飲んだ。
 体が潰されたような音――、では無かったのだ。実際の音だった。焔の胸部が凹んでい た。その姿は妙に滑稽だった。
 まるで穴の空いたような、焔の凹んだ胸部からはゆっくりと、潰したトマトのように赤い血 が流れ出した。

「ねえ、焔……?」

ユーラは目に涙を浮かべながら今はまだ動かない焔を見つめた。

「ユーラさん!」

カレイドは叫んだ。
 その刹那、悪魔の顎がユーラの肩を捕らえた。ユーラは悲痛の叫びをあげた。メキメキと 肩の骨が折れ曲がってゆくのがわかってしまった。ユーラは悪魔に向けて必死にナイフを 付き立てた。しかし悪魔はビクともしない。

「ちくしょうっ! 離しなさいよっ!」

 ユーラの体からはすっかり腕の痛みは消え去っていた。あまりの激痛に、痛覚が麻痺し たのか、それとも脳が自然と痛覚をシャットダウンしたのか。ユーラには痛みを覚えないと 同時に、腕に力が入らず、さらに感覚が無くなっている事に気付かなかった。あまりの恐怖 に叫びをあげ、滅茶苦茶にナイフを突きたてる事しか出来なかった。
 ゲーデは立ち上がり、鎌を持って駆け出そうとした。しかし、ライツァーはそれを止めた。

「助ける必要が何処にある? それよりも逃げる事を考えるんだ」

ゲーデは一度だけライツァーを睨んだが、すぐに悪魔の元へと走り出した。ライツァーは舌 打ちした。

『ライツァー』

そこで始めて月影がこの部屋に存在する事にライツァーは気付いた。ベッドのすぐ横にあ った。

『貴様はここから逃げる良い案などあるのか?』
「無い」

ライツァーはキッパリと言った。
 ゲーデは跳躍し、鎌を杭のようにして悪魔へと突き刺した。しかし悪魔はユーラを離さず、 ゲーデを見向きもせずに尾で薙ぎ払った。ゲーデは吹き飛ばされるが、痛みに苦しむ事も なく、咄嗟に起き上がると再び攻撃に移ろうとした。カレイドも動き出した。

「来ないで!」

突然ユーラが叫んだ。カレイドとゲーデは驚き、足を止めた。ゲーデとカレイドは顔を見合わ せるが、すぐに悪魔の背へと駆け出した。

「来ちゃ駄目!」

ユーラはそう叫んだ。
 カレイドとゲーデは眉をひそめて立ち止まった。

「私はさ、これでもエージェントなんだよね。仕事を真っ当しなきゃいけないんだよね」

 ユーラの表情には恐怖という物が消え去っていた。逆に、何か使命を果たそうとしている 者の顔付きだった。
 悪魔は拳をユーラの腹部に打ち付ける。ユーラは顔を歪めたが、苦痛のうめきは漏らさ なかった。

「ガキか、そう、私はガキね……」

 悪魔に咥えられがらも、ユーラは焔の姿を確認し、ゆっくりと言った。その言葉にはすで に生気は失われていた。

「ユーラさん!」

 カレイドは立ち止まったまま、ユーラに向かって叫んだ。ゲーデはどうする事も出来ず、 立ち尽くしている。

「じゃあね、カレイド」

 ユーラはそう告げてゆっくりと悪魔の体にまだ動く方の腕を巻き付け、その骨、肋骨を掴 んだ。

「ねえ、焔。そっちでまた喧嘩できるかなぁ……?」

 ユーラはそう呟き、悪魔の骨を持つ自分の片腕に力を込めた。悪魔は今すぐにでも息絶 えてしまいそうな少女が何をしようとしているのか理解できなかった。
 逆に、悪魔以外の全員が理解した。

「ユーラさん!」

カレイドは再び叫んだ。ライツァーは駆け出しそうになったゲーデの肩を掴み、抑えた。  ユーラは、ニコリと少女らしい、可愛らしい笑みを作った。
 そして、ユーラと悪魔は影の悪魔の影の中へと消えて行った。悪魔の影は悪魔が消え去 るのと同時に消滅した。
































「さて、ここを出ようか」

 ユーラと悪魔が消え、しばらく経った後、ライツァーはのん気に言った。まるで、つい先程 まで何も起きていなかったような素振りだ。

「そうですね」

 カレイドもまた、サングラスを押し上げて冷たく言った。
 ゲーデは天井を仰いでいた。
 月影はベッドの横にかけられていたまま、黙りこくっていた。
 赤い服をした者の目は閉ざされ、何も見てはいなかった。








説明と登場人物紹介、及び補足等(塔編)





「壱拾五」戻る「壱拾七」




[★高収入が可能!WEBデザインのプロになってみない?! Click Here! 自宅で仕事がしたい人必見! Click Here!]
[ CGIレンタルサービス | 100MBの無料HPスペース | 検索エンジン登録代行サービス ]
[ 初心者でも安心なレンタルサーバー。50MBで250円から。CGI・SSI・PHPが使えます。 ]


FC2 キャッシング 出会い 無料アクセス解析