『壱拾』
『おい、楓』
森の中はひんやりとした心地よい風が優しく、ゆっくりと吹いていた。
所々に見え隠れする青空や、太陽や、雲がまるで別の世界の物に見える。
楓は小さな雲を睨んでから、地図へと目を戻した。
「なんですか」
その声は随分と苛立たしい物だった。
ゲーデは木陰の中で倒れた巨木に腰をおろしている。
イリスは飛び交う虫や、小鳥達に目を奪われている。
ゲーデは小さくため息をついた。
『またか?』
「なんですか」
地図を握る手が震えている。
『またなのか?』
イリスが手を差し延べた小鳥達が数匹、慌てて飛び去る。
イリスは不思議そうに首を傾げた。
楓は地図を丸めてゲーデの腰掛けている巨木へと近づいた。
「すみません」
ゆっくりと腰をおろして言った。
「……別に構わないわ」
静かにそう答えてからイリスへと目を向けた。
『これが初めてじゃないんだぞ?』
月影は訴えるように嘆いた。
楓はムッとした顔になり、月影を腰から外して巨木に掛けた。
イリスは飛んで行った小鳥達を見ていた。
「そう」
ゲーデは静かに目を閉じた。
道に迷った事など全く気にしていないようだ。
「さっきこっちから来たから……」
楓は地図を見ながらブツブツと唸った。
『どうせなら地図を見るのをやめたらどうだ?』
「五月蝿いですよ」
からかうような事を言い出した月影に、楓はまた柄を小突いた。
ゲーデが目を開け、そしてしばらくしてから今度は口を開いた。
「イリス?」
楓はハッと顔を上げた。
いない。
前にも後ろにも横にも。
鳥達がギャァギャァと喚いている。
「ゲーデさん! ここで待っていて下さい!」
楓はゲーデに怒鳴るようにして言った。
『楓!』
月影がそれを止めようとするが、楓の姿は木々の中へと消えて行った。
「声は、どれくらいまで届くの?」
ゲーデは立ち上がり、月影を見下ろしている。
『どういう事だ?』
「あなたの声はどこまで届く?」
髪を手で払って言った。
『……そう遠くまでは届かない』
「そう」
ゲーデは周りを見回した。
そして月影を掴んだ。
『どうする気だ?』
ゲーデは空を見上げていた。
「またどうせ迷うんでしょ? 戻って来れないと思うわ」
『なるほど』
月影は苦笑した。
ギャァギャァと鳥達の喚き声はやまない。
ゲーデはもう1度、ゆっくりと辺りを見回した。
ゆっくりと、自分の方向性を確かめるようにして。
そして静かに楓の走り去った木々へと歩を進めた。
一陣の風が周りの木々を揺らした。
1つの黒を中心として円を描くかのように砂と、血風が舞った。
『まるで嵐のようだな』
中心の黒から囁くような声が聞こえてくる。
『しかし、楓はどこに行ったのだ?』
黒、ゲーデが大きな弧を描く鎌から血を振り払った。
髪を五月蝿そうに手で払う。
「……それがわかれば苦労しないわ」
ゲーデの周りには無数の死体が転がっている。
全て人間の女性のような顔を持っている。
しかし、体は鳥だった。
『この森にハルピュイアの巣があるらしいな』
「……ええ」
ゲーデが鎌を縦に振ると、鎌はその手から消失していた。
「早く、捜さないと」
そう言いながら木々の奥を睨む。
ギャァギャァと鳥達の叫びが聞こえてくる。
羽音と、葉の揺れる音があちこちから聞こえる。
ゲーデは顔をしかめた。
先程の戦闘でハルピュイア達は自分とこの黒い死神との実力の差を知ったのであろう。
周りから様子を伺っているだけで襲ってこない。
ゲーデは歩き出した。
肉塊をまたぎ、血の海の上を行く。
その姿は、まさしく死神の姿だった。
周りに潜むハルピュイア達のため息が聞こえてきそうだ。
右手に掴まれている月影はじっと聞き耳をたてるかのように塞ぎ込んでいた。
楓は息を切らしながら走っていた。
途中でハルピュイアに襲われたが、すぐに蹴散らしてまた走り出す。
イリスはいったい、どこ?
あてもなく、ただ闇雲に走っている。
自分の直感を信じて。
薄暗い森の中で、一筋の光が差しこんでいる場所が遠くに見えた。
一筋の聖なる光が闇に突き刺さっているようだ。
楓はそこを目指して走り出した。
あてがないのなら、少しでも他とは状況の違う場所を目指したほうがいい。
「イリスー!」
いつもはのんびりとして、マイペースを崩さない楓だったがこの時ばかりは大声を張り上げた。
その声にも返事はない。
そもそも、イリスがそれに気付いたとしても答える保証はどこにもない。
光の差し込む場所がハッキリと肉眼で確認できるところまで楓は辿り着いた。
そこには1本の木にもたれかかり気持ち良さそうに眠っているイリスがいた。
楓は安堵のため息をつき、そこへ向かって歩き出した。
しかしすぐに歯を食いしばり、顔をしかめた。
イリスが眠っている木や、すぐ近くの木々からハルピュイアが顔を出したのだ。
彼女達はお互いに顔を見合わせ、ニィ、と笑った。
それは確実に人間的な笑みではなかった。
口は割け、目は信じられないほどに細かった。
楓はすでにイリスの元へと駆けていた。
距離は随分ある。
ハルピュイアは襲うのを躊躇っているのか、中々木から下りようとしていない。
30m……
ハルピュイア達がギャァギャァと喚き出した。
しかしそれでもまだ下り立たない。
20m……
再びハルピュイア達は笑った。
それは楓への嘲笑的な笑みにも見える。
10m……
ハルピュイアが1匹、2匹とイリスの前に下りた。
5m……
すやすやとイリスは安らかに眠っている。
もうすぐ手が届く。
愛らしい寝顔のイリスにも、憎たらしいハルピュイアにも。
罠だった。
ハルピュイア達はイリスを襲おうとしていなかった。
背中に走る激痛。
楓は前転し、転がった。
木々から飛び降り、楓の背中をその鋭い爪で引っ掻いたハルピュイアがケタケタと笑った。
『引っ掛かったね、馬鹿なやつだ』
とでも言い出しそうだ。
転がった楓に3匹のハルピュイアが襲いかかった。
足の爪で楓を襲う。
月影は今、手元にない。
襲いかかる爪を手で払いのけながら楓は横転する。
少しでもイリスに近づかなければならない。
1匹のハルピュイアの足を掴み、すくい上げた。
体のバランスを失ったハルピュイアは後頭部から倒れ込んだ。
楓はすぐさま立ち上がった。
上からのハルピュイアの奇襲。
楓はハルピュイアを抱きかかえるようにして地面に倒れ込んだ。
ハルピュイアの冷めきった顔を右手で掴み、地面に打ち付ける。
「ヒィィィィィ!」
ハルピュイアはが悲痛な叫びをあげた。
額が割れ、血が吹き出す。
楓はまた、ハルピュイアの頭を掴む。
掴んだその肘に痛みを覚え、頭を離してしまった。
ハルピュイア達は木々から無数に下り立ってくる。
(何匹いるんだ!)
そんな事を考える暇さえなかった。
肘を抑え、片足で飛び降りてきたハルピュイアをつま先で蹴り飛ばす。
飛びあがるように、楓は立ちあがった。
右足のつま先で目の前のハルピュイアの顎を砕く。
横手から襲いくるハルピュイアの足を掴み、すくい上げる。
倒れたハルピュイアの羽を踏みにじる。
何匹ものハルピュイアの叫びに混じり、痛みに叫ぶ声が響く。
楓は目の端に映った物を見て動きを止めた。
寝息を立てるイリスに1匹のハルピュイアが近づいているではないか。
動きを止めた楓の腹部にハルピュイアの蹴りが入る。
息がつまり、膝を地面に落とす。
それでも楓は必死に顔をあげて次の動きに順応した。
頭を下げ、顔に迫る爪を避ける。
立ち上がり、足払いをかけ、1匹のハルピュイアを倒す。
イリスへと近づくハルピュイアがあの笑みを浮かべた。
ハルピュイアの顎を横から手の平で打つ。
打たれたハルピュイアは白目をむき、ぐらりと顔を地面に埋める。
楓は自分の周りに集まってくるハルピュイアの群れに身動きをとる事ができなかった。
突然、イリスに迫っていたハルピュイアの顔が歪んだ。
その顔が、ぐしゃ、というカエルが潰れるような音をたてた。
顎が、ハルピュイアの顎がごっそりと抜けていた。
肉片が辺りに飛び散っている。
その一瞬で全ての動きが止まった。
森がざわめいている。
木の葉や、木々さえも揺れている。
そしてゲーデの周りを囲む、ハルピュイア達の様子も変わっていた。
しきりに何かを囁くようになり、こちらを睨む視線が先程よりも鋭い。
そして何より、遠くから聞こえてきた何かの叫び声。
『何が起きているのだ?』
月影のその声は明かに動揺の色が含まれている。
「……」
ゲーデは黙ったまま辺りを見渡す。
そして、片手を挙げた。
するとその手を中心に、棒状のものが現れ、伸びてゆくではないか。
ゲーデの背と同じくらいまで伸びただろうか。
今度は棒状の先から弧を描くようにして鋭利な刃が現れた。
ゆっくりと弧を乱さずに伸びる。
その先は鉤爪のように鋭く、尖っていた。
『何を?』
巨大な武器、大鎌を突如として出現させたゲーデに月影が問う。
「数が、多すぎる」
ゲーデのその答えは、少なくとも月影には理解できないような答えだった。
何をするのか、と聞いて、数が多すぎる。
しかしその答え方は、ゲーデにとってはごく当たり前の答えだった。
武器を取り出したゲーデに危険を感じたのか、ハルピュイア達がギャァギャァと騒ぎ始める。
そんな中、ゲーデは静かに目を閉じた。
月影は周りの空気が酷く淀んでいっているのに気がつかなかった。
ただ、目を閉じたゲーデの行動に疑問を感じていただけだった。
ハルピュイア達はその空気の淀みに敏感に反応した。
そこから離れる者、ゲーデへと接近しだす者。
その行動はまちまちだった。
ゲーデは目をゆっくりと開けた。
その視界には周りの木々など見えず、闇が広がっている。
その闇の中心部を大鎌で切り裂いた。
すると、その裂かれた闇はさらに暗黒を増した。
闇の中の闇。
そこから、ズッ、ズッ、と何かが、もしくは何かを引きずるような音が聞こえ出す。
ハルピュイア達の視界にも、その異常な光景が映った。
ゲーデが切り裂いた空気中に、その裂いた軌跡をなぞるようにして真っ黒な線が浮かび上がったのだ。
『な……』
月影は絶句した。
そこから異形が現れたのだ。
初めは1本の爪を携えた指のように見える者だった。
それが2本、3本と次第に数を増した。
5本まで現れた。
それらはそれぞれ太さ、長さが異なっている。
さらにそれらが黒の線から姿を見せる頃には、その姿は巨大な手として確認する事ができた。
しかし、それは尋常ではなかった。
まず、巨大だ。
人の子ほどはあるだろう。
そして体は青く黒ずんでいる。
爪は鋭く、その体毛は針金のようにも見える。
何より、異形は手首までしかなかった。
ゴト、とまるでテーブルの上からリンゴでも落ちてしまったように、その異形は線の中から落ちた。
そして月影は見た。
その異形の手の平には、なんと無数の大小の目玉が付いているではないか。
それらは全てあちこちを向いており、1つとして同じ所を向いている物はなかった。
月影を見ている物もいれば、ゲーデを見ている物、空を見上げようとしている物。
飛び立つハルピュイアを見る物、こちらへと接近するハルピュイアを見る物。
逃げるハルピュイア、未だに隠れているハルピュイア。
まるで全てを見通しているかのようだった。
それから異形は確認するかのように2、3度握りこぶしを作って見せた。
不思議な事に、異形は浮いているのだ。
羽などない。
それは、自然の事のように浮いていた。
何もせずとも浮いている事がその異形にとっては普通なのだ。
『な、なんなんだコイツは』
月影はこの異形を知らない。
【unfamiliar】、魔物の沢山の種類を知り尽くしている月影でさえ、この異形の存在は知らない。
人知を超えたようなその姿に、ハルピュイア達は見を凍らせた。
何か、言葉では表せないような叫びが森を響き渡らせた。
その発信源は異形だった。
口などない。
穴1つさえないのに、異形は何かを叫んだ。
もはや、この異形には常識という概念がないようにも見えてしまう。
叫びを挙げたかと思った次の瞬間。
異形が走り出した。
5本の指を足のように使って走り出したのだ。
それは滑稽にも、おぞましい姿にも見えた。
1匹のハルピュイアに異形は向かっていた。
尋常ならざるそのスピードで、ハルピュイアが叫びを挙げる間もなくその首が吹き飛んだ。
ただ通りすぎるようにして異形の、おそらく小指に当たる部分でハルピュイアの首を薙いだのだ。
それを見たハルピュイア達は恐れおののき、逃げ出した。
【unfamiliar】を超える化け物が存在していた!
月影はそう確信した。
アレは、あの異形は【unfamiliar】なんかではない。
異形は逃げ出す次の獲物へと接近していた。
背中から飛び移り、その爪で背中を抉る。
さらにすぐ近くにいたハルピュイアの足を人差し指が太股から切断する。
走って、跳んで。
その動きは重力に縛られている姿ではなかった。
自由に空を飛べる、と言われても月影は肯いただろう。
異形が1本の木に登った。
すぐに中から、隠れていたハルピュイアの泣き叫ぶような声が聞こえる。
その叫びが終わる前に、異形が木から飛び出し、次の木へと飛び移った。
この異形から隠れるという事は無駄に終わってしまうのだろうか。
隠れていたハルピュイア達はことごとく叫びを挙げて絶命している。
逃げ出しているハルピュイア達も同じだった。
その背中に爪が突き刺さる。
後ろから抱きかかえられるようにして押しつぶされる。
腕はもげ、足は切断され、胴は2つになった。
首が飛んでからも、まだ逃げているハルピュイアもいた。
すでにその思考は途絶えているはずなのに、足だけは動いている。
それほまでの恐怖感にその死んだハルピュイアは狩りたてられていたのだ。
飛び去って逃げ出す者もいた。
しかし飛び跳ねた異形に足を掴まれ、地面へと叩きつけられる。
その衝撃で頭蓋が砕け、その顔は見るも無惨な姿へと変わった。
一方的な虐殺ショーが終わるまで、数十秒とかからなかった。
あちこちからの叫びはだんだんと静まっていった。
それはハルピュイア達の数が激減しているという事なのだろう。
ついに音1つしなくなった。
それから異形がゲーデの元へとのそのそとやってきた。
そしてゲーデの前でピタリとその足、いや、その指を止めた。
ゲーデは異形を見下ろし、その指にそっと右手を置いた。
しばらくそうした後、異形は1度だけ月影へと向いた。
月影は、ギクリとした。
まさか、襲われるのではないだろうか。
しかし異形は月影を襲うことなく、ゲーデと月影から背を向けた。
ザザザザザザ、と目にも止まらぬ速さで異形は木々の中へと姿を消していった。
後には、ゲーデと月影と、そして血溜まりと数々の肉片だけが残った。
「クリス、頼む、診てくれ」
ガラ、と音をたてて入ってきたのはアーギスに肩を貸している焔だった。
所々青アザが出き、出血をしている。
「やっぱここは慣れないな、臭すぎる」
焔はそう言って顔をしかめ、鼻を摘んだ。
薬の匂いで充満しているその部屋は、シュバルツバルトの中でも有数の治療室だった。
「酷い格好だな……。クロノスはどうした?」
回転椅子に座った、白衣を着た男が言った。
「アイツは好きじゃない。だからこっちに来た」
どうしようもないほどに、わがままなセリフだ。
白衣を着た男、クリスは苦笑をしつつ、チラ、とアーギスを一瞥した。
アーギスは肯くと治療室から姿を消した。
「ならば俺は好きなのか」
クリスは腕を組んで茶化すように言う。
「アンタはいいヤツだ」
焔は自分の包帯を剥がしながら、言う。
「そうとも限らんぞ。もしかしたら今ここで2人きりなのを良い事に……」
「アンタは死にたがりやじゃないだろう?」
脇腹の傷を確認して、焔は笑みを浮かべた。
「そりゃそうだ」
クリスはクックッと笑い、焔の傷を見た。
「大分、深いな」
自然と顎へと手が動いた。
「……それでも、アイツは加減をしたんだよ」
「ん? 何か言ったか?」
焔の呟きは随分と小さいものだった。
「なんでもない」
クリスは「そうか」と言って、焔から背を向けて自分の机の上に置いた紙に何か書き始めた。
焔はクリスの背を見ながらぼぉっと黙っていた。
カリカリとシャープペンが紙の上を走る。
その音だけが部屋の中の音だった。
やがてそうこうしている間に、ドアが再び開いた。
焔が後ろを振り向き、「げ」とあからさまに嫌な顔をしてみせた。
「……ハァ、ハァ、っこんなトコにいたのか」
息を切らせながらやってきたのはクロノスだった。
両膝に手を置いて疲れきった顔で焔を見ている。
随分と走ったらしい。
「ココに戻った時にはアーギスとお前がいなかったから……ハァ、まだ怪我治してねぇだろ?」
それからすぐに「うわぁっ」という声が聞こえた。
「治療室では静かにするように」
後ろで大きな声が聞こえたのでクリスは顔をしかめて振り向いた。
「……クロノス、何を遊んでいる?」
クロノスが壁に手を付けようとして、それを滑らせ、顔面を床に打ち付けていたのだ。
鼻を抑えながらクロノスは立ち上がった。
「焔、傷見せろ。すぐ治してやる」
鼻から流れ出る血を拭きもせずにクロノスは言う。
「クリスに診てもらう事にした。それより自分の治せよ」
焔は手を差し延べるクロノスを拒むように言う。
それから小さく唸った。
脇腹の傷口を抑えている。
「クロノスにやってもらったらどうだ。手っ取り早いだろ」
クリスはシャープペンを揺らしながら2人を眺めて言う。
焔はそれを聞いてジロリと睨んだ。
その視線から逃れるようにしてクリスは顔を背ける。
焔はチッと舌打ちすると、今度はクロノスを睨んだ。
クロノスは自分を治すのも忘れてじっと答えを待っている。
「……さっさと済ませろよ」
焔はそう言うと立ち上がって部屋を出て行った。
クロノスは慌ててその後を追った。
クリスは静かにそれを見送った。
1度だけため息をつき、立ち上がって流し台へと近づいた。
そこからかけてあった一枚の布を取りだし、水で濯ぐ。
そしてクロノスが残して行った血の後を拭いた。
「……できれば手伝ってはくれません?」
クリスが突然口を開いた。
「空気が淀んできている」
クロノスが出た後からは誰も部屋から出ていない。
しかし部屋の中にはクリス以外の男がいた。
それも先程クリスが座っていた回転椅子に座っている。
腕を組み、窓から外を眺めている。
「気付きましたか」
クリスは顔を上げて答えた。
「私は酷く気になるのだが、お前はどう思う?」
どちらも相手の事を見ていない。
しかし、それでもクリスは1人肯いた。
「【Calamity】……」
クリスはポツリと呟いた。
「やはり、ヤツか」
男は空に浮かぶ暗雲を睨んだ。
「エージェントは?」
クリスは肯いてから答えた。
「戻ってきたばかりだ」
男の答えにクリスは腕を組んだ。
「私が行きましょうか?」
クリスが言うと、初めて男が振り向いた。
しばらく相手の思考を読み取り合うようにして黙り合った。
「……いや、いい。お前は行くな」
男は沈黙を守るようにして、静かに答えた。
「ならば誰を?」
「マリィに行かせるべきか」
それは答えとしては不適切だった。
クリスへの質問だった。
「ここで失うのはまだ早過ぎるのでは?」
男は「うぅむ」と言い、顎を手で触れた。
「時間を取らせて悪かったな」
男はそう言って立ち上がった。
「どうするんです?」
クリスは男に聞いたが男は黙って手を挙げただけで、何も言わずに部屋を出て行ってしまった。
クリスはそれを見送った後、窓の外に見える暗雲を睨んだ。
「【Calamity】、災害、か……」
ポツリとそう呟いた。
ザザザ、ザザザザ……
異形が木々の中へと消え去ってすぐ、そんな音がゲーデの周りの木々から発せられていた。
ゲーデは直立したまま、辺りを見まわすが、木々が揺れるだけで姿を現さない。
『何かいるのか?』
「わからない……。けれど」
ゲーデの言葉は「けれど」で終わった。
その後に続く言葉はなんだったのだろう。
月影がその言葉を探す間もなかった。
木々の揺れは止んでいた。
どこに、どんな生物が身構えているのか想像つかない。
この周辺のハルピュイア達は異形が全滅させた。
異形が見逃した生物がいた、という事だろうか。
ゲーデの手には、すでに大鎌が握られている。
じっと大鎌を両手で握り、構えている。
ゲーデは空を仰いだ。
青い大空には、巨大な暗雲が浮かんでいた。
「空気が、淀んでいる……」
『何?』
ゲーデの答えは返ってこなかった。
代わりに、何かが接近する音が背後から聞こえてくる。
それも、目にも止まらぬスピードだという事が音だけで感知できる。
ゲーデは振り向きざまに大鎌を横に薙いだ。
たった一振りのそれは強風を巻き起こし、木の葉が舞った。
『コイツは……』
ゲーデが横に両断した何か。
「ライツァー!」
ゲーデが突如叫んだ。
両断された物は、あの、巨大な手のような異形の生物だった。
『ライツァー、だと?』
ゲーデはキッと異形が現れたであろう方向へと睨みをきかせた。
右手で大鎌を携え、空いた左手は握りこぶしを作っていた。
サァ、と柔らかい風が吹き、周辺の木の葉が踊るようにして舞った。
大鎌が作り出した強風とは違った、とても柔らかい風だ。
「どうやら」
その声はゲーデが睨んでいた方向から聞こえてきた。
木々の間から1人の男が現れた。
顔はゲーデの方向を向いている訳でもなく、別の、どこか遥か遠くを見つめているように見える。
「あの方がここにいるようだ」
ライツァーはそこまで言って、まるでようやくゲーデに気付いたかのように視線をゲーデへと向けた。
武器を持っている相手を目の前に、自分は何も持っていないというのにまるで余裕の表情だ。
「貴様のせいでっ!」
ゲーデは今にも飛びかかりそうな表情だった。
『あの方、だと? アイツがいるのか?』
「ああ、その通りだ」
ライツァーはゲーデはまるで無視して月影に答えた。
ゲーデの拳はワナワナと奮えている。
『まさか、ゲーデとも見知っていたとはな』
ライツァーはその言葉を鼻で笑った。
「見知ったも何も」
ゲーデをあざ笑うかのように、見下すような表情を見せた。
「よぉ〜く知ってるんだよ、よぉ〜くね」
それからクックッと笑ってみせた。
『お前が外道なのは知っている』
「外道なんて心外だな」
腕を組んで笑みを見せた。
「それならそこの黒いお嬢さんも外道なんじゃぁないかい? なぁ?」
その言葉が終える前に、すでにゲーデは駆けていた。
右方向から大鎌を振る。
しかしライツァーは軽く後ろへと跳躍しただけで、それを軽く避けた。
「いきなりご挨拶だな」
余裕の笑みは消えない。
「私は、自分の半身を失った」
ライツァーを睨みつけて、ゲーデが言った。
大鎌を両手で持ち直す。
「それは全てを失うよりも辛い事だった」
『……』
月影は黙ったままゲーデの言葉を聞いていた。
「自分の半身、ねぇ。丸っきりその通りだな。うん、いい表現じゃぁないか」
再び、クックッと笑った。
「なんなら、もっとどん底に落としてやれば良かったかい? そりゃぁもう、這い上がれなくなるほどに」
ニィ、と口の端を吊り上げて笑っていた。
しかし目は笑っていない。
「恐怖、落胆、憎悪……。負の感情はいい。素晴らしい感情だ。これこそ人としての感情と言うべき物だ」
両腕を挙げ、空を仰いでいる。
その視線の先には、あの巨大な暗雲。
「だからこそ、僕にはこの能力が相応しい。僕は落胆を力にし、憎悪を食らい、そして恐怖を増やしつづける」
その表情は自分の演説にうっとりとしているようにも見える。
「キミはその1つにすぎない。只の僕の糧になる存在にすぎないんだよ」
ゲーデの怒りの表情はますますその色を増やしていた。
「ああ、そうか。キミ単体じゃぁないね」
ライツァーは空からゲーデへと視線を戻した。
「ソロネもだな」
「死になさい」
ライツァーの言葉を待たず、ゲーデはすでに攻撃を再開させていた。
「なっ……」
ライツァーが反応するより早く、ゲーデはライツァーの背後から大鎌を構えていた。
ライツァーの首元に冷たい刃物が突き付けられている。
ゲーデがこれを引くだけで、いとも簡単に1つの絶対悪の存在が消える。
「まいったね」
両手を挙げて、ライツァーは言った。
「それを下げては貰えないかい?」
『この後に及んで何を言っている』
冷たい返答は月影からだった。
「最後に言い残す言葉は?」
ゲーデがライツァーの耳元で囁いた。
「……」
ライツァーは無言のまま、答えない。
「最後に言い残す言葉は?」
ゲーデはもう1度囁いた。
ライツァーはクックッと静かに笑った。
ゲーデは1度だけ深呼吸をした。
「何がおかしい?」
大鎌の刃を滑らかにずらすようにして動かした。
首筋から一筋の赤い血が流れ出す。
それでもライツァーは答えない。
「死になさい」
ゲーデは大鎌を引いた。
――……
黒い死神のような姿をした女性が森の中で倒れていた。
その側に、1つの刀が地面に突き刺さっている。
黒い、暗雲が大きさを増していた。
「九」/
戻る/
「壱拾壱」
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