『弐拾』
「クソッたれ!」
クロノスは強く握り締めた拳で床を叩いた。あまりにも強く握り締めたその拳からは血が滲み出ている。しかしクロノスは自分の能力でそれを治そうとはしなかった。まるで自分を戒めているかのように床を叩き続けている。
そのことになんの意味がないとわかっていても。そうすることで何かが変わるわけではないということも彼は知っていた。知っていながら、何もできない彼はそうしていた。あまりにも突発的に爆発した感情はそうすることでしか抑えられなかったのだろう。
彼――クロノスは安物の宿に部屋を借りていた。金がないわけではない。《シュバルツバルト》はエージェントたちに巨額の給料を払っている。では、なぜか。それは足がつきにくいからだろう。街のすみ、それも小汚い路地裏にあるような安物の宿ならば見つかることはなかなかない。もしも巨大なホテルに泊まったのならば彼はたちまち見つかってしまうだろう。そう、彼は逃げているのだ。
クロノスは立ち上がると木製のテーブルに置いたウイスキーをそのまま飲み干した。しばらくすると、一気にアルコールが身体中を駆け巡ってゆく。酔ってきた、とクロノスが気付くころには、すでに彼は吐き気を催していた。部屋についているトイレへとかけこみ、吐いた。
彼はもともと酒に強いほうではない。格好つけるときだけ高価なワインなどを少量飲むくらいだった。それに彼は自らの能力で自分の体の中に入ったアルコール成分を瞬時にして分解することができた。しかし、彼は今、安物のウイスキーを飲み干し、アルコールを分解しようとしない。酔って吐いて、やり切れない気持ちに浸っていた。
体の中のものを全て吐き終えた彼はトイレから戻ると固そうなベッドに腕だけもたれかけた。
「どうしてこうなっちまったんだ?」
彼は語りかけた。静かにベッドの上に横たわる赤い和服の女性に。
クロノスがそれを耳にしたのは偶然だった。マリィとクリスの会話を偶然耳にしたのだ。
「それは本当なのか、マリィ」
「ええ。彼女はまだ動きます」
「では、失敗ではなかったのだな」
「いいえ。違います」
「動くのだろう? 生きているのだろう?」
「それが、少し違うんです」
「どういうことだ?」
「彼女は自分の力で再生していたのです」
「なんだと」
「実験なんて必要なかったんです」
「では、あの薬は?」
「すでに投与されてます」
「生を持つ者に投与したというのか?」
「はい」
「あのスティッツの薬は死者を蘇らせるものだ。それも、バンパイアとしてだ。生を持つ者に対しての実験例はあるのか?」
「ないです」
「なんだと?」
「ないんです。1例も」
「……それで、今彼女は?」
「眠っています」
「ずっと」
「はい」
「生きているのだな?」
「生体反応は確認されています。血液はきちんと巡回していますし、筋肉の動きも確認されています。ただ――」
「ただ、なんだ」
「彼女は呼吸をしていないんです。」
「どういうことだ」
「心臓が動いていないんです。あのときの衝撃で心臓を潰されてから、彼女の自分の能力でそれは再生しました。しかし、心臓は動いていないんです。心臓だけじゃありません。体の中の身体機能は正常なのに、臓器はどれも働いていないんです」
「薬の副作用か?」
「わかりません。もしかしたら、そうかもしれないです」
「マリィ、君は先ほどから何度も『彼女の能力』と言っていた。それはどんなものなんだ。あのアーギスと似たものか?」
「違います。今までに例のない能力です」
「どのくらい判明しているんだ?」
「全くわかりません」
「『再生』ではないのか」
「違うみたいなんです。いいえ、それだけではないようなのです」
「複数の能力を持つ、とでもいうのか?」
「いいえ、それは有り得ないです。体が持たないですから」
クロノスは二人の会話を聞きながら、まさか、と思った。まさか、この会話の「彼女」とは――。
「……彼女は今もまだ」
「はい。実験室です」
「安らかに眠らせてやることはなかったのか」
「彼女の能力は特異なものです。それを解明しなければなりません。それに、彼女は生きていたのですから」
「けれど、蘇らせようとした。彼女が死んでいると思っていたときは」
「そうです。けれど、彼女は自ら再生した」
「それはもう何度も聞いた。私はただ――」
「ただ? 『神に背く行為をしていいのか』ですか? 今更、貴方がそんなことを言うのですか。《シュバルツバルト》を作ったのは――」
「いい。それ以上言うな。わかっている」
「スミマセン、つい」
「いいんだ。それにしても……。日向は厄介なものを残したな。楓にしろ、焔にしろ」
「日向?」
「いいや、なんでもない」
クロノスは駆け出していた。生きている、焔が生きている。
実験室の前までたどり着いた彼は白衣に身を包んだ科学者に入室することを止められた。
「いくらクロノス様、貴方でもここに入れることはできません」
「ここに焔がいるんだろう。入れろ」
「な、なんのことでしょうか」
科学者は見るからに焦っていた。
「ここに焔がいるんだろう、と言ってるんだよ。さあ、どけよ」
「それはなりま――」
科学者はそこまで言うと力なく項垂れて倒れてしまった。科学者の腹部にはクロノスの拳がめり込んでいた。
ドアを開け、部屋に侵入すると、そこはとても巨大な部屋だということにクロノスは気付いた。こんな場所があったなんて、彼は一度もここに入ったことがなかった。
クロノスの入室に気付いた科学者たちは首を捻った。ここに入室を許可されているのは科学者たちと社長、マリィ・グレイブス、クリスだけのはずだった。一介のエージェントがなぜここにいるのだろう。
科学者の一人が彼らの代表としてクロノスへと近づいた。
「なにか御用でしょうか」
しかしクロノスは何も答えない。部屋中を見回している。
「あの?」
「なんなんだここは」
科学者は眉をひそめた。この男は何を言っているのだろう。科学者がそう考えたとき、それが彼の最後だった。
大きな発砲音と崩れ落ちる科学者。クロノスの手には拳銃が握られていた。
巨大な部屋の中の機械で出来たベッドたち。その上に寝かされている無数の死体。その中にはクロノスが見知った者がいくつもあった。そして、その中心の最も巨大なベッドの上に赤い和服の女性――焔が寝かされていた。
クロノスは焔を抱えて走っていた。なんなんだあそこは、いったいなにが起きているんだってんだ! 彼の頭の中は混乱していた。彼は、初めて《シュバルツバルト》の裏の顔を知った。彼は今まで《シュバルツバルト》とは何人ものエージェントを使い、ヘンテコな物体を集め、邪魔者は排除する。そんな場所だと思っていた。確かに、世界から見れば悪の組織のような場所だ。ヘンテコな物体を集めてなんになるのかはわからないけれど、そんな物になにかが出来るはずがない。社長はきっと金持ちなのだろう、金持ちの道楽だろう、と考えていた。その想像は先ほどの光景を見てガラリと変わった。あんなに大量の死体で、いったい何をしようというんだ。まさか、あのヘンテコな物にも何か秘密が?
「クロノスさん、あなたはいったい何をしているんだ」
建物の中から出ようとしていたクロノスの前に現れたのはエージェントのスタンだった。
「スタン。お前は知っているか」
「なにを、ですか。その焔さんの死体を降ろしてください。撃ちますよ」
スタンの手には愛用のスナイパーライフルが握られていた。彼の目は今、赤く充血している。
「死体、か。お前も知らないんだな」
「さあ、降ろしてください。本当に撃ちますよ。これは脅しではありません。死体を返さないのならば撃ち殺せと言われてるんです」
クロノスは握りこぶしを強く作っていた。
「お前の姉の死体がどこにあるか知っているか?」
スタンの眉がピクリと吊り上った。
「姉さんのことを口にするなっ」
「知らないんだな。教えてやる。お前の姉の死体はなあ、今、実験室にあるんだよ」
クロノスは焔のすぐ横に横たわるジーの死体を確認していた。焔に最も近い位置のベッドの上だった。
スタンは銃口を下ろした。彼はクロノスがなにを言っているのか理解できなかった。姉のことをマリィに問いかけたとき、マリィはこう言っていた。「私が埋葬したんです。やはり、貴方にやらせるのは悲しすぎると思ったんですよ」。スタンはその墓を見た。そして泣いた。それなのに、この頭の悪そうなヤサ男は何を言っているのだろうか。
「騙されないでください」
「マリィ……っ」
クロノスの顔が怒りに満ちたそれに変わっていた。現れたマリィは平然な顔をしてスタンの横に立った。
「彼は嘘をついているのです。ジーさんの墓を見ましたよね。実験室になど置いてあるはずがないんです」
「俺を信じろ、スタン!」
ガクッ、とクロノスの片足が崩れた。いつ間に出したのだろうか。マリィの手にはショットガンが握られていた。焔の体がクロノスの腕の中から落ちた。
「さあ、スタンさん。クロノスさんから焔さんの死体を取り返しましょう」
スタンは呆然としてつっ立ったままだった。自分でどうすればいいのかわからなくなっていた。
「マリィィ!」
クロノスは拳銃を握る手をマリィに向けた。
「くぅっ」
クロノスの拳銃が火を吹くことはなかった。彼の腕はマリィが投げたナイフによって地面に釘付けにされた。
「クロノスさん、貴方もわからない人ですね」
マリィは冷ややかにクロノスを見下ろした。
「マリィさん、なんで姉の死体は墓に埋められたのに焔さんの死体は今ここにあるのですか」
スタンはぼそりと呟くようにしてマリィに訊ねた。
「それは――」
マリィは言葉に詰まった。
「大事な実験材料だからだ」
代わりに答えたのはマリィたちの背後からやってきたクリスだった。同時に、スタンの頭がガクンと揺れた。スタンの充血していた目が元に戻り、彼の体はゆっくりと前のめりに倒れた。
「クリスさん、何を?」
マリィは後ろに振り向いた。
「大丈夫だ。殺しちゃいない。これ以上犠牲者を出したくない。気絶しているだけだ」
「クリス、お前……っ」
クロノスは自らの能力で足と腕を治していた。彼は立ち上がると並ぶ二人を睨み付けた。
「さあ、クロノスさん。焔さんの――」
「クリス、知っていたか」
クロノスは呟くようにして言った。クリスは目を細めた。
「焔はなあ、焔はお前のことを――」
「クロノス!」
マリィは叫んだ。
「手前、さっきからグダグダグダグダうるせえんだよ。さっさとソイツを渡しちまいな」
「いや、それは駄目だ」
「なっ?!」
ショットガンをクロノスへ向けていたマリィは吹き飛んだ。
「なにしやがるんだクリス」
マリィを不可視の力で壁に打ち付けたのはクリスだった。マリィは身を起こしてクリスを睨みつける。
「私はクロノスを逃がすことにする」
「はぁ?」
クロノスとマリィは自分の耳がおかしくなってしまったのか、と思った。クリスの言っていることを理解するまで時間を必要とした。
「てめえ、クリス!」
マリィはショットガンをクリスに向けて発砲した。しかし、鳴ったのは発砲音ではなく爆発音だった。ショットガンの銃口が爆発していた。
マリィは舌打ちして使えなくなったショットガンを投げ捨てると、新しい武器――拳銃を両手から出現させた。そう、2丁の拳銃はマリィの手から現れたのだ。
マリィは即座にクリスに向けて何発も続けて発砲した。クリスは黙ったままそれに合わせて腕を振った。ボロボロと地面に落下する銃弾。マリィは眉をひそめた。
「さあ、クロノス。早く逃げるんだ」
クロノスは唖然としていたがクリスの一言で気を取り戻し、焔を抱えて脱兎のごとく走り出した。その背に向けて発砲するマリィ。しかしその銃弾さえもクリスによって落とされた。
「クリス、てめえっ」
マリィは銃器が通用しないとわかると2丁の拳銃を捨て、続いて西洋の剣を出現させた。彼女はそれを両手に持ち、上段に構えながらクリスへと接近した。しかしクリスが掌をマリィに掲げると同時にマリィは後方へと吹き飛んでしまう。
「無駄だよ。マリィ、君では私に勝てない」
クリスは冷たくそう言い放った。
「なら、私がマリィさんに協力したらどうです?」
そう言いながら現れたのはカレイドだった。
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