京都しかない。

 目を覚ました僕は開口一番にそう呟いていた。呟いてから驚く。京都だって?

 見慣れた白い天井、丸型蛍光灯の入った発光色のライト、ライトの紐、紐の先に付いた薄緑色の小石。間違いなく僕の部屋。問題ない。そして問題なく僕は、ベッドの上で寝ていて、問題なく彼女が僕の隣で仰向けに寝転がってタバコを吸っている。……いや、問題はあったか。

 一枚の大きな掛け布団が僕らの上に覆いかぶさっているが、それはふたりの問題を破壊するにはいささか小さすぎる。

 彼女の顔がゆっくりと僕に向いた。「なにが? なにが京都しかないの?」

 昨晩までの明らかな苛立ちはいくぶん減っているようなので安心する。

「さあ、京都に行こう。ふたりで」

 起き上がってパンツ一枚のままウロウロと部屋中を歩き回り、旅行の準備を始めた。

「とりあえずさ」と彼女は言った。「まず服着なさいよ。寒くないの?」

 そういえば寒かったのでとりあえず服を着ることにした。今日は珍しく、起きたばかりなのに頭が冴えていると思ったのだけど。

 彼女も起き上がった。長い髪をかき上げてから窓際まで歩き、がらりと窓を開けた。そして窓の外――今、陽が昇り始めたばかりらしい――を背景にして壁に寄りかかり、タバコの続きを吸った。彼女も朝に弱い。裸のままで布団から抜け出したのは僕だけじゃないということが如実にそれを物語っている。

 ふたりとも着替えを終え、旅行鞄に荷物を詰め終え(僕がふたり分の荷物を詰んだ。彼女はそのあいだじっとタバコを吸っていた)、さあ出発だ、という具合になった。明かりを消すためにスイッチへと近づくと、彼女が手でそれを制した。「あたしが消すから」と彼女が言った。そして彼女は紐の先に付いた薄緑色の小石を掴むと、いきおい良く下に引いた。紐はあっけなく切れた。ぷちっ、とてんとう虫が潰れるような音を出して。明かりがフっと消える。彼女は小石をしばらくのあいだ手のひらで遊んでから窓の外へと放り投げた。

「さ、行こうか」彼女は極上の笑みを僕に向けた。どうやら相当怒っているらしい。

 アパートから外に出る。バス停は近い。すぐ目の前。時刻表が、バスは十分後に到着するぞ、と告げているので彼女に向かってそう言ってみる。が、返事はなかった。顔さえ向けてくれない。仕方がないのでバスが来るまで黙ったまま待つことにした。

 アパートを見上げると、僕の部屋の窓が見えた。薄緑色の石が八つ当たりの犠牲になった窓だ。

「タバコ買ってくる」と彼女は言った。ようやく出てきた言葉。「まだ時間あるでしょ」

 携帯電話で時刻を確認すると、あと五分、というところだった。僕は頷く。幸か不幸かタバコの自販機はすぐ近くにあるのだ。……ああでも、タバコなら鞄に詰めたじゃないか。

「タバコ、鞄に入ってるよ」と僕は言った。

 しかし彼女はさっさと行ってしまった。いわゆるシカトというやつだ。

 彼女は自販機の辺りをしばらくウロウロとしていた。僕の側にいたくない、ということか? だったらついてこなければいいのに。

 やがてやってきたバスに乗って東京駅で新幹線に乗った。

 

 窓際の席を問答無用で僕から奪った彼女は、あたたかい陽の光を受けながらうたた寝をはじめた。

 なんで突然「京都しかない」だなんて言い出したのだろう、とは考えない。きっと僕らふたりの問題には京都という場所が解決策をもたらしてくれるのだ。……と、今では信じている。なにせ、僕と彼女の仲が急発展したのは京都への修学旅行だったのだ。

 まあなんにせよ、今、僕と彼女のあいだには薄い膜のような壁が張っている。それは透明度が高いくせに弾力性が強く、押せば押すほど跳ね返ってくる。なにか影響力のあるもので突けば破けそうに思えるが、僕らは互いにそれを持ち合わせていない。僕は、それが京都であればいいと願っている。その壁を――僕が浮気したという誤解を――、早く壊したいと願っている。

 

 新幹線は京都に着き、僕らは朝のうちに連絡を入れたホテルへと向かった。荷物を置き、とりあえず、という感じでテーブルを囲んでお茶を淹れた。

「どこに行きたい?」と僕は言った。

「考えてなかったの?」と彼女が言った。

 現地に到着すれば、そこでなにか思いつくだろうと思っていたのだ。

「ちっとも思いつかない」

「じゃあ寝るしかないわね」そう言って彼女は座布団を枕にして寝転がってしまった。まだ怒っている。数分後、寝息がきこえてきた。

 僕は考える。京都における京都的な魅力、そして京都的な影響力について。それはいったいなんだろう。なにが僕をここに連れてきたのだろう。……考えるまでもなく、あの修学旅行のせいなのだろうか。

 しばらく京都的な影響力とはなにか、という議論を自分の中で検討し、自己内にもうひとりの自分を仮定し討論をしてみた。

 君は京都的な物と言えばなんだと思う? うーん、僕はやはり金閣寺・銀閣寺だと思うな。あの知名度の高さは京都的魅力のひとつと言えるに違いない。そうか、僕は三十三間堂だと思うが。あれだけの数の仏像こそ、京都的人間像を現す具体的な魅力になるのではないかと思うぞ。いやいや、忘れちゃならないのが懐石料理だろう。あれこそ京都的寺院の多さを指す、京都的料理だ。

 いくら京都的なものについての思考を続けても、ふたりの問題を破壊すべく超自然的な京都的影響力をもたらしてくれるような答えは浮かんでこなかった。時計を見る。十分。僕は十分も考え続けたのだ。なのに彼女はまだ起きない。最も罪のある存在は暇なんだと言っていたのは彼女なのに。

 彼女の寝顔を見た。無防備に口を広げ、今にも涎が垂れてきそうだ。いつも見るが、その寝顔はなかなかに京都的だった。ようやく京都に来たという実感が沸いてきた。それはなぜか? やはり、高校生のころに来た思い出のせいだろう。

 仕方がないのでひとりで出かけることにした。ひとりで京都旅。なかなかに寂しい。ひとりで閉演ギリギリの水族館に入るくらいは寂しい。いや、行ったことないけど。

 まずは三十三間堂に向かった。量産された京都的仏像が僕を迎えてくれた。誰かに似ている顔、というものはなかなかに見つからなかった。そもそも、僕はひとの顔を覚えるのが苦手だ。彼女が、僕の浮気相手だと疑っている相手の顔さえ覚えていない。

 懐石料理店の前を通った。さすがにひとりで食べる気にはならない。絶対に彼女に怒鳴られる。きっと京都的怒声で。

 金閣寺に向かった。これは、なかなかに京都的だった。思っていたよりも遥かに。なにせ、どんな感想も浮かんでこないのだ。本当にこの建物を見て「美しい」と感じた人間がいるのだろうか。だがしかし、「みすぼらしい」ということは絶対にない。断じてない。京都に誓ってもいい。……きっとそういうことなのだろう、京都的とは。

 京都的な建物を眺めているあいだに、僕は高校の修学旅行を思い出した。世界が変わった日のことを。まあつまり、僕と彼女がはじめて会話をするようになった日だ。

 ことの発端は彼女が部屋を間違えたことだった。理由は寝坊したうえに寝ぼけていたということ。僕ら男子の部屋は二階で女子の部屋は三階だった。全員で朝食をとる場所は、男子部屋と同じ二階。その日彼女は先でも述べたように朝寝坊をした。そして友人たちが必死になって起こそうとしたのだが、なかなかに起きてくれなかった。あとで行くから、と言っていたらしい。彼女は送れたものの宣言通り二階へと向かった。寝巻きのまま。朝食をとる会場の前でそれに気付き、慌てて自分の部屋へと駆け込んだ。その時点の彼女はまだ寝惚けていた。なにせ駆け込んだ部屋が僕の部屋だったのだから。しかもあろうことか、部屋の雰囲気が違うことにまったく気付かず、敷きっぱなしの男子の布団に倒れこんだのだ。朝に弱い僕が彼女と同じ理由で部屋の中で眠っていた(しかも彼女が倒れこんだ布団の中で)ということは言うまでもない。

 それから僕らは一緒に京都を巡った。そして金閣寺にたどり着いたとき、「美しい」、「みすぼらしい」ことについての会話をしたのだ。そしてそこで薄緑色の石を拾った。なかなかに綺麗な石だったので彼女が気に入ったのだ。

「なかなかに京都的でしょ」と彼女は言っていた。「この石にはね、京都的呪いが詰まっているのよ。その呪いとはね――」彼女はそう言ったあと、顔を赤くさせた。「教えない」

 まあつまり、僕らは若かったのだ。

 ああ、あの石も、そういえばなくなってしまったな。京都的呪いの効果はどこへ行ってしまったのだろう。……いいや、諦めてなるものか。僕は京都的呪いを信じる。帰ったら絶対に探してやる。あの窓から放り投げられたのだから、きっとタバコの自販機の近くに落ちているはず――

 自販機の近く?

 そういえば、彼女はバスを待っているあいだ、いったいなにをしていた? まさか。……でもそれは甘い想像なのかもしれない。実際には、僕がホテルの部屋へ戻ってみると彼女はいなくなっているかもしれない。

 なんにせよ、それは部屋に戻ってみないとわからないことだ。そしてそれはきっと、京都的影響力が決めてくれる。

 僕はそれを信じて部屋へと戻る。





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